あ、1本いいっすか?

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2010/02/23

去年9月の歌舞伎……『松竹梅湯島掛額』

投稿者 福田快活   2/23/2010 0 コメント
松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)は福森久助の作だ。

福森久助はまあ、明和4(1767)年にうまれて文政元(1818)年に死んだ歌舞伎作者、『東海道四谷怪談』で有名な作者鶴屋南北のライバルだった人ととりあえず思っといて。

い まも作者名を冠して上演される江戸時代の作者がこの鶴屋南北と、時代はくだって幕末明治の河竹黙阿弥くらいだろう。黙阿弥は「明治になる前に近代だった」 芝居を書く人間でしょうじき好みぢゃない。南北はそれこそ、江戸の髄とでもいえるような芝居を書く、そのライバル福森は、これまでみたことがなかった。 ネームバリューは相対的に低い。

それでも今回(去年の9月。。。)の上演とあって楽しみ、南北とどう違うんだろどう似通ってるんだろ――という期待に駆られていた。

「吉祥院お土砂の場」と「火の見櫓の場」の2幕にわかれる。
八百屋お七ものだ。八百屋お七ってのは「恋にはまり過ぎて男にあうため放火する」キャラだ。まちの八百屋の娘っていうより、ダイエーの社長令嬢、「男にあうため放火」ってのは男とあったのが火事のため避難した寺だったから、また火事が起これば会える、と思って放火する。

こ の『松竹梅湯島掛額』ではちょっと違うんだが、基本キャラはかわんないので割愛。。。んーやっぱ軽く説明――避難先吉祥院でお七が惚れた寺の小姓吉三郎、 実は歴とした武家、紛失した御家の重宝天国の短刀を捜しだしてお家再興を図る大事の身。(間があって)この短刀を見つけたお七、吉三郎に届けようとするも 暮れ六つ(6PM)を過ぎ、木戸は固く閉ざされている、木戸を開き吉三郎のお家再興を果たすため、お七は重罪をかえりみず火の見櫓の太鼓をたたく

「男にあうため放火」が「男のために禁を犯して太鼓をたたく」にアレンジされてる。このアレンジは歌舞伎の胆にかかわることだけど、今回は割愛。。。ほんとに

「吉祥院お土砂の場」は中村福助演じる美貌のお七を手に入れようと蒲冠者範頼(史実では源頼朝の弟のひと)が手先をよこしてくる。そいつを撃退するために中村 吉右衛門演じる紅長が、人をグニャグニャにする霊験あらたかなお土砂(まあ砂)で手先もグニャグニャ、寺の上人・小坊主、お七のお母さん、下女・友達かま わずグニャグニャにしまくる、お七だけはしない、お祭り芝居で、このムチャクチャぶりが福助か、なるほどと思ってた。

「火の見櫓の場」は全然違った。

さっきの「(間があって)」以降の筋なんだが、みて欲しい。上のグニャグニャ騒動とノリが違いすぎる。マジメなんだ。悲劇なんだ。

そして何より福助のお七が人形振り。
人形振りってのは黒子が後ろについて操ってる設定で、福助が人形みたいな動きをするんだ。
ポッピングと通うものがある

このお七が人形振りが信じられなかった。

八百屋お七=恋に狂った女=人形操り

観念的な整合性がとれすぎてるんだ。

恋に狂った女は人形である。凝縮された恋の激情は臨界点を超え虚無を爆発させる、黒子に操られる手足は機械的な直線を描き、眼はガラスのように見るものを吸い込む、まさにこの虚無こそが福助の演技の・・・なんたらかんたら

と言えちゃいそうな、いやこういうことはゆえるし、ハズレではない。

「すべてが恋」になったお七は実は「なにももってない」怖さのようなものは
舞台を見てれば感じるんだけど、そゆことは実際にもあるんだろけど

「これって福森久作?文化文政(19c初め)の発想?」

首を傾げる。
この整合性のとり方は近代の発想で、江戸ぢゃあねえな。これ福森ぢゃないんぢゃ?

て思いながらポテチかじってたら気になりすぎたので、買う積りのなかったプログラムを買ったらこうあった――

『松竹梅湯島願掛』は、文化6年(1809)3月、江戸森田座で初演した福森久助作『其往昔恋江戸染(そのむかしこいのえどぞめ)』の「吉祥院の場」と、安永 2年(1773)4月、大坂北堀江座で人形浄瑠璃で初演され、歌舞伎でも人気のあった『伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)』の「火の見櫓の場」 を河竹黙阿弥が繋ぎ合わせて脚色し、安政3年(1856)11月、江戸市村座で初演しました。

福森を観に行って、黙阿弥は「明治になる前に近代だった」をあらためて確認した。安政3年は明治維新まで11年待たねばならない――でおわったらこの文章、整合性とれすぎてるので、
さいごに――バイバイキーン

※そもそも「火の見櫓の場」を入れるのが黙阿弥の発想でも、「狂ったお七は人形」が黙阿弥の発想かわかんないしね。これは黙阿弥の元の台帳で後日、確認しよう。黙阿弥が近代、ってか近代ってなに?ってこともあらためて

2010/02/11

末永くおしあわせに ~四谷怪談~

投稿者 福田快活   2/11/2010 0 コメント
お岩さんの職業は「惚れた男に裏切られて祟り殺す」だ。
ヲトコが好きだから、もおイケメ~ンってなったら逆ナンして一緒なって、でもダメンズだから男はサイテー。裏切られて殺されて、クヤシイシカナシイシ
幽霊になって男を祟り殺す。

実録、歌舞伎、合巻いろんな作で「幽霊になって祟り殺す」をしてきた(有名な『東海道四谷怪談』でもこのキャラだよね)ある日、ジョブチェンジするんだ。

妻 子持ちのタミゴロー(名前萌エの彼女はいつも似たよな名前に惚れる)がスキッ♡♡てなっちゃって、もう敵討ち諸国巡りで大変なタミゴロー夫婦だまして家に くわえこんで、タミゴロの足洗って「おまえのおみ足が洗いたくってしょーがなかったの」。幸せだったろーね。もっと「いやらしきこと」シタかったかもしん ないけど夫婦にすりゃうざいから、引っ越される。(ここら辺はいつも通り)

恋しさ患って、死んだ。

埋葬された遺体を狼が掘りおこす。
っと!お岩は死んでなかった、仮死状態だった(*^ー^*)∠※パパーン!!。・:*:・
狼は猟師に耳撃たれ、猟師は駈ける狼に逃げ、現れたのは以前お岩がいじめた狐;化カシテヤルゼー。髑髏に馬の骨さして狐の術、ホイ!お岩を幽霊になったつもりにした。

「幽霊になって男を祟り殺す」が商売だったお岩が幽霊気取りにジョブチェンジwて

「あたしは幽霊よ!男を殺してやるーー」そーれ、ってんでタミゴロの家いって男の首をチョーン!女の喉にガブー!(ほんとは南瓜ひっこぬいて石地蔵に喰らいついただけ。口から垂れる血は歯の欠けた自分の血)
びっくりしたのは村人、死んだはずの女が南瓜ぶら下げてヒエラヘエラ笑ってる。
タタリヂャー!
でもこの幽霊朝明けたどころか昼なってもいるし、足もある。ァ、ただの基地外だ(笑)
小学生には石ぶつけられたりしたけど、村の相互扶助は手厚くって畑の番すりゃおまんまくれる。流れもんと死裝束のまま(チョット白無垢っぽくない♪)蓮の葉かぶって(チョット綿帽子っぽくない♪)、シアワセナ祝言あげましたとさ。

(⌒▽⌒)/゜・:*【HAAPY WENDDING】*:・゜\(⌒▽⌒)

2009/11/25

159字分のムダ ~江戸なんてムダ 1~

投稿者 福田快活   11/25/2009 0 コメント
江戸時代の戯作(とりあえずは小説と思っといて)のキーワードは「ムダ」だ。デタラメでなんの肥やしにもならない、つまらない駄洒落、ギャグ、観察でひたすらつなげる。学校の教科書にでてくる『東海道中膝栗毛』なんて、それの牛のよだれで二十年以上やってるんだから、呆れるというかすごいというか、、イヤやっぱ呆れるしかない(-_-)おなじつまんないギャグなんべんも使いまわすし。。。

「ムダ」っていうのは勝手にいま言ってるんではなくて、戯作の作者自身よくゆってる。式亭三馬の『戯場粋言幕の外』の跋文(あとがきネ)で三馬が「戯作はムダ」宣言をしてると思ったら、ちがった。。。どうしよう?実はこの「ちがった。。。どうしよう?」の13字の間にかれこれ、2時間くらい「戯作はムダ」宣言をしてる本をさがしたんだけどみつからない。。。「戯作の作者自身よくゆってる」と4行前でいったことは忘れてもらって、この『戯場粋言幕の外』(どういう戯作かは今度ゆっくり)の跋文を見よう。


シバイ好きからシバイ嫌いをみたらまるでアホ、シバイ嫌いからシバイ好きをみたらただのアホ。シバイを好きなアホは勧懲(イイモンが勝って、悪いモンが負ける)をシバイと思うアホで、シバイを嫌うアホはシバイを勧懲と思わないアホ。アホアホ勧懲すべてシバイにあるのをしらない、アホアホ、シバイすべて勧懲なのをしらない。アホアホよく勧懲を知ってシバイを見れば、シバイ=勧懲になる。ああ、、シバイってなんて勧懲なんだ!
   おれも一個のアホー
                     遊戯堂主人(三馬のこと)


ん?中途半端に訳すから意味がわかんないって?違うんだよ。元から意味わかんないんだよw(読みたくない人は↓は読まずに△から読んで)


芝居好より劇場嫌を看ては癡呆の似く、勾欄嫌より劇場好を視ては癡呆の如し。芝居を好む癡呆は勧懲を狂言と想ふ癡呆にして、芝居を嫌う癡呆は演劇を勧懲と思はぬ癡呆なり。癡呆\/勧懲総て狂言にある事をしらず、癡呆\/狂言都て勧懲にある事をしらず。癡呆\/克勧懲を知て狂言を見ば、狂言即勧懲ならん。嗚呼狂言勧懲なるかな。   
 是も一個の癡呆的
                         遊戯堂主人


読みたい人のために補足すると―
芝居・劇場・勾欄はぜんぶ「しばゐ」のルビ
癡呆は「たはけ」
狂言・演劇は「きょうげん」まあ歌舞伎ってこと。野村萬斎のやつは関係ない。
総て・都ては「すべて」
克は「よく」
即は「すなわち」
癡呆的は「たわけもの」
ちょっと中国のむかしの白話小説(『三国志演義』とかに代表される)の用法も入ってるけど(勾欄とか的)、近代国語教育以前だと漢字と読みが一夫一婦制ぢゃないから、そんな変ぢゃない。(いまからは読めない「都て」は当時の常識)

△ こんなもん、まともに読んぢゃ失礼で、「狂言と勧懲についてとやかくいう風潮があって、うんざりしてた三馬はこうやっておちょくってんだなあ。なめてんなあ」がまともな感想。「たわけ」と「かんちょう」だけは「癡呆」「勧懲」以外の漢字をつかってないところから、三馬先生の腰の入りようがしれる、ってもんで(勧懲は音読みだけどね)。

要は国語の試験問題的に「この文章で作者の言いたいことはなんですか?」と聞かれりゃ「アホ!」の3文字でたりる、いっぱい漢字つかって、もっともらしい跋文のような162字(!)があって、中身は「アホ!」の3字。

この162-3=159字分のムダが江戸の戯作だ

ぢゃ、今日はこれくらいで。ヾ(◎皿◎)バイバイキーン
 

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