あ、1本いいっすか?

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2010/02/06

一人称って変ですよね

投稿者 サトウ   2/06/2010 0 コメント
 更新が滞ってすいません。
 数日前東京外大に行って柴田元幸、都甲幸治、和田忠彦のシンポジウムを聞いてきた。
 お題は『現代文学と子ども』。
 ここで内容を全部紹介するわけにはいかない(というかそもそも全部覚えてるわけないし)が、気になったことが一つ。
 このお題とどう関わっていたのかは忘れてしまったが、都甲先生がバフチンのポリフォニー論を一人称に関しても適用できるのではないかという論を展開したのである。
 バフチンのポリフォニー(多声性)論というのは、ドストエフスキーの作品においてはそれぞれの登場人物の様々に異なる主張や意見がことごとく対立したまま描かれているとか、そういうことだ。バフチンによれば、それまでの文学作品は、一見異なる意見を持つもの同士の対話があっても、最終的には作者の肩入れする方向に回収されてしまっていた。
 三人称の小説であれば、作家が公正な審判のように、ある種の誠実さに基づいて人物を造形すれば、そういう優れたテクストができるのだろう、という気はする。それは「違う人を、違うように」描くということだからだ。
 しかし、それは一人称でも同じことなのである。私たちは、日常的に「同じ人を、違うように」提示し続けている。例えば以前千歩くんが言ったように、私たち日本語話者は、当然のようにさまざまな一人称を使い分ける。友だちの前では「おれ」、先生の前では「ぼく」、面接官の前では「私」など。そのことについていちいち混乱を覚える人はあまりいないだろうと思う。なのになぜ、小説の中ではあれほど人称がきっちり統一されるのだろう?

2010/01/21

ダダの詩を作ってみた

投稿者 サトウ   1/21/2010 0 コメント

ダダの詩をつくるために


 新聞を用意しろ

 ハサミを用意しろ

 つくろうとする詩の長さの記事を選べ

 記事を切りぬけ

 記事に使われた語を注意深く切りとって袋に入れろ

 袋をそっと揺り動かせ

 切りぬきをひとつずつとりだせ

 袋から出てきた順に一語ずつ丹念に写しとれ

 きみにふさわしい詩ができあがる

 今やきみはまったく独創的で魅力的な感性をもった作家というわけだ

 まだ俗人には理解されていないが


(塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』九〇頁 トリスタン・ツァラの詩)





 というわけでやってみました。使用テクストはドン・デリーロ『コズモポリス』(小説)、ニーチェ『この人を見よ』(哲学)、緒方弘一『今日はこれ食べたい!』(料理本)である。偶然開いたページをコピーし、これら三つのテクストから適当に数行ずつ切りとり、それをさらに文節ごとにばらばらにして混ぜ合わせ、ランダムに配列し直した。改行・行空けはとりあえず文字列が完成した後適当にやってみた。





  自分のきみは濡れている。

  しゃぶしゃぶ用一瞬どころかきみを座っている──7~8cm 来ない


  「硬くなりっこないわ。

  と彼女は言った。

  走者という感じる。

  その日を羽目に日にはな。

  生まれついてのを背負わされている。

  わけではない。シートベルトをしてきみは寂寥感や

  私は事実上、五時間もユダヤ教・キリスト教的な皮をむく

  麻痺させて

  タイプだよ」



  晴れ着に……過ぎ去った……とんでもない、きみのことを



  とんしゃぶであったか私は

  ジョギングのではということだが──すっかり痩せこけ、人々はジョギング

  誤った何者かが感じないって。

  どれくらい自分のような……こういう連中がたるんだ体を見つめる。

  六時間も!──(写真は一人分)



  三つ葉2束興奮してしまった



  許されないとわかっているという運命

  飢えに窶れた

  「お尻のあるし、タイプの歴史的研究にさえ、心理的にそこにこういうから解放される。

  までに、なくなった見つめて、大根1本と語っているあいだ、わかる。


  投げ出せ

  悲劇的な

  わかっている


  「それだって豚ロース肉芸術によって包まれて半分に切る起きているかことを材料/生まれついて進路を求めるようにほかはしていて、男が衰えていく、わけだから」


  その揚句、──本来の同じさ。生理学と言えば俺には自然科学との全面的に切り落とし、そんな強要される悟った、走るのを恐しい多くのにわかにきみがみるなら、使命のといういたのだ! 余りに時期もグルリと悲しい重荷を座っている抱えて決定し、電気が自分の然るべき医学と精神の芸術のような「帝国」来るすると、十年、私は切り、400g 飢餓感をはずよ」


  きみはことを。そのあいだ何も女だ。所業。

  きみが声に

  日が長さに

  自分のいまさら座ったという栄養摂取は

  阿片を

  きみは恥じた。椅子にもうところでうちに

  きみを無益で命ずる体臭がである。気紛れ境に、長さを


  私は何が4人分姿をこの病根を

  私の麻酔剤的はっきり陥って謙遜さを厚く

  私は

2010/01/05

明けましておめでとうございます

投稿者 サトウ   1/05/2010 1 コメント

 年末には新年の挨拶用にこんなものを書いていた。


明けましておめでとうございます。


 年末年始はいつものごとく実家に帰って何人かの友人知人に会い、忘年会だといっては飲んだくれ、新年会だといっては飲んだくれた。いつも年明けの授業の準備をしようと思って何冊かの本を持っていくのだが、それらの本はたいてい読まれずに、部屋の隅に転がったまま新年を迎える(今回もそうなった)。大晦日だけは(これもいつもどおり)実家でだらだらとテレビを眺めながら過ごした。とくに熱心に見ているわけではないのだが、居間に浮かれたテレビの音が流れていると年末だなあ、という気分になってくるから、まあいい。元日は親戚のうちにいって挨拶。さすがにもうお年玉はもらえないが、貧乏学生の身分を考慮してくれるのか、いくらか「お小遣い」をもらう(同じことか)。ありがたい。今年は四日には東京に戻らなければならなかったので、三日に始発で出発し、十一時間鈍行列車の過酷な旅の後帰京して、浮かれ騒ぎの余韻に浸っているところである。


 というのは全部嘘で、これを書いているのは12月26日である。しかし、年が明けて東京に戻ったころにはすべてが本当になっているだろうと思う。明日は朝五時の始発で東北へ向かう。そのあとちょっと友達と飲んで、翌日も友人とどこかへドライブへ行くことになっている。ボードリヤールの『象徴交換と死』をバッグに入れたが、おそらく今年も読みきれない。彼のいう、メディアイメージの氾濫によって現実に先立ってシミュラークルが形成され、現実のほうがそれを再生産しているというのならば、この年末年始のワンパターンな過ごし方ももはや起源をもたないハイパーリアルではないか(たぶんちがうけど)。


 と書きなぐった後に居酒屋に逃げこみ、帰省して狂乱の年末年始を過ごしたのち、更新日がやってきたわけだが(混乱したら申し訳ないのだが、このブログは即興で更新しているわけではないので、書き上がってから実際に記事がアップされる時点までのさまざまな「わたし」が介在しているのである)、果たして「シミュレーション」どおりの年末年始を過ごして(今度は本当に)東京に戻ってきた。


 とはいえもちろん、いつもと違うこともある。高校のクラス会がないかわりに部活の同窓会が開催されたり(みんな立派になっていた)、中学の飲み会が若干荒れたり、大晦日から元日にかけて大雪が降ったり、といった細部はしばらくの間「2009年から2010年の年末年始の記憶」として残るはずだ。このような細部が「今年限りの特別なこと」として認識されるのは、逆説的なことに毎年の年末年始の過ごし方が「似ている」からである。例えば「記号のAとワインの瓶の違いを説明しろ」と言われれば「えーっと、とにかくどう見ても違うじゃん。もしかしてお前バカ?」としか言いようがないが、メガネと水中メガネの違いであれば「目に装着する二つの透明なレンズ」という共通項を通して差異がはっきりと認識される(メガネが見当たらないときに「しかたがないから今日はいつもプールで使っている度入りゴーグルをかけて仕事に行こう」と判断できる方はそう多くないはずである)。


 というわけで(?)、本年も「もらいたばこ」をよろしくお願いいたします。

2009/12/23

ヨーロッパ旅行記2

投稿者 サトウ   12/23/2009 0 コメント

一時間ほど早くロンドン行きの飛行機に乗る私はKさんを残して出発。「よい旅を」といって別れる。ここからはまた一人だ。さっき解けたはずの緊張が復活。十二時間のフライトの大半を寝ぼけた状態で立ったり座ったり(通路側の席だったのでトイレに行く人のため頻繁に立たなければならない)しながら、ヒースロー空港についたのは朝六時。9月2日の日記にはこう書いてある。


9/2 London着。

  宿の住所に行くが誰もいない。パキスタン系移民らしき人ばかり歩いていて不安になる。元気なおじさん現れ、別の建物に連れていく手配をしてくれる。女性が車で迎えにくる(このとき傘をトランクに忘れる)。

  雨がひどい。レインウェアをもってきてよかった。

  駅前に出てハンバーガー。

  支出:Oyster Card

   3(dep.) +15£

  Coffee (at the airport)1.7£

  ハンバーガー 3.9£

  宿代 80

 計 103.6£


 ヒースロー空港はチャンギ空港と違って薄暗く、なんだか汚い。照明の形状などは近代的で、写真うつりは非常にいいのだが、実際にその場にいるとなんだか気分が暗くなってくるような雰囲気を感じた。空港につくと長い列に並ばされ、入国審査を通る。パスポートによって並ぶところが違う(EU内の人とそれ以外)ようで、列を間違えていないかひどく不安になる。日本人っぽい人に声をかけたら「アァ?」と言われる。"Are you Japanese?" と訊ねると "No." といわれ、恥をかく。入国審査の係員と入国する人とのやりとりを見ていると、目の前で2、3人のアジア人が入国を拒否されている。並ぶ列を間違えて別のところに行かされる人もいる。不安が募る。私は周りを見渡して、EU以外の人たちが並んでいることを確認しようとするのだが、他国のパスポートのデザインなど知らないからさっぱりわからない。わからないままに順番が回ってきて、係員の前へ。


 「何しにきたの?」

 「観光です」

 「イギリスにはどれくらいいる?」

 「一週間」

 「イギリス出た後はどうすんの?」

 「オランダとかフランスとかいろいろ行きます」


 などなど、当たり障りのない質問に対して実際には何度も聞き返したり的外れな返答をしながらも、私はなんとかイギリス入国を果たした。


 まずはタバコだ。私は荷物をころころ引きずって外に出て、喫煙所を発見した。灰皿の上に転がっているタバコの空き箱には "Smoking Kills" とこれ以上ないほどに直接的な注意書きが印刷されている。空港前の道路にはひっきりなしに車が通っている。あまり違和感がないのは、車が日本と同じように左側を走っているからだ。


 一服していると日本人らしい人がタバコを吸いにきた。その人は電話をかけて、今着いたというようなことを話している。日本語だった。私はさりげなく地球の歩き方『ヨーロッパ』を出して、ちらちらと相手の目に入るようにする。電話が終わると「日本の方ですよね」と声をかける。どこから来たのかと訊ねるとぼく田舎もんなんですよお、といいながら「岩手の北上」だと答える。おお。(ほぼ)同郷じゃないか。いやあ、世界って狭いですなあ、とかいいながら別れる。これから二年間ワーキングホリデーで、ホームステイ先に向かうのだとか。


 意外にそそくさとその日本人が立ち去ってしまって手持ち無沙汰なので、もう一本タバコを吸ってから、コーヒーを買いに行く。イギリスで初の経済活動に参加すべく、カフェの列に並ぶ。メニューもろくに見ずブラックコーヒーを頼む。別に言葉の壁があるが故の妥協じゃなく、普段から私はブラックコーヒーしか飲まない。だから注文が楽だぜ、と思って余裕しゃくしゃくで注文を終えたと思ったら、なにか店員が聞いてくるのである。またもや何度も聞き返す私。次第にいらだつ店員。どうやらなにかトッピングはいらないのかと聞いているようである。いらねえよ、だからブラックコーヒーっつってんだろうが。と思いつつ、実際にはしどろもどろでようやく No.と答える。コーヒーひとつ買うのも一苦労である。十ポンド札を渡して釣り銭をもらう。


 コーヒーを飲みながら釣り銭を勘定する。べつにごまかされたと疑っているわけではない(まあ場所によっては多少警戒したほうがいいだろうけど)が、それぞれの硬貨がいくらなのか、お勉強がてらやってみたのである。日本円だったら財布のふたを開けた途端に瞬時にわかるわけだが、初めて見るイギリスのコインはそれぞれがいくらなのか、表面にある数字をよく見ないとわからない。それからガイドブックを開き、どうやって空港から市街地まで出るか考える。地下鉄がいちばん安い。深夜・早朝の地下鉄は治安が悪いと聞いていたが、もうそれを気にするような時間でもないので、地下鉄に決定。


 イギリスの地下鉄にはオイスターカードというものがあって、日本のスイカやパスモと同じようなものなのだが、日本と違うのは、これを使うと現金で切符を買うよりも圧倒的に安い料金で乗れることだ。イギリスの交通費はめちゃくちゃに高いから、これを手に入れるべく案内所のようなところにいく。稚拙な英語で「わたし、オイスターカード、欲しい」というと、突如として店員の対応が私を見下したようになる。何かまずい言い方をしただろうか、と思いつつ15ポンドチャージしておつりをもらう。なぜかおつりの渡し方もぞんざいである。店員はにやにやしながら、イギリスの厚ぼったい硬貨を手からぼとぼととテーブルに落とす。ちくしょう。馬鹿にしやがって。


 とりあえず Green Park というところで降りる。まだ宿へ行くのには時間があるから、公園でだらだらとくつろごうという魂胆である。しかし地下鉄を降りて地上へ出ると、雨が降っている。しかも寒い。セーターとレインウェアの上着を出して着る。折り畳み傘を持ってきてよかった。地図を見るが、ここがどこなのか見当もつかない。日本人カップルがいたので「すいません、ここどこですか」と愚かな質問をするが、「こっちが聞きたいくらいです」という答え。なんとなく心和むやりとり。


 適当に歩き出してみる。ここからはピカデリー・サーカスという街の中心地が近いはずなので、グリーンパークの前にその辺まで行ってみることに。きょろきょろとあたりを見回しながら荷物を引きずって歩くと、石畳の道路がスーツケース持つ手にがたがたと振動を伝える。意外と歩きにくい。びしっとしたスーツを着た身なりのいい人たちがたくさん歩いている。笑いながらこちらを見て通り過ぎて行く人もいて、どうやら私は場違いなオーラを放っているようだ。キスリングを背負って銀座を歩く裸の大将のような感じだろうか。地図を見ながら歩くが、そのうち雨の中わざわざ「街の中心地」なんて漠然としたものを見に行くのも面倒になってきたので引き返してグリーンパークへ。グリーンパークはすぐ近くにあった。入ってみるが、ベンチは雨でびしょびしょなので座れない。晴れた日は気持ちがいいだろうな、と思っただけで、居場所がないので宿に向かう。地下鉄のジュビリー・ラインというのに乗ってウィルズデン・グリーンで下車すればいいはずだ。


 目的の駅は郊外の住宅街という感じ。あらかじめ用意しておいた地図にしたがって歩く。電話をすれば迎えにきてくれるとは書いてあったが、そんなに遠くないから歩いてしまった方がよい。念のため途中でランニング中の女性に「この住所はこの辺ですよね」と訊ねる。「たぶんそう、このずっと先じゃないですか」というが、ぼろぼろの、ほとんどすべて同じ形のれんが造りの建物が並んでいるこの通りには、宿がありそうな雰囲気は全くない。おまけに額の中央に赤い塗色を施したイスラム系の人たちが不幸そうな顔つきをして歩いていたりして、少なくとも高級住宅街とはほど遠い雰囲気だ。やたらに安い宿にしてしまったのが悪かったのか。このまま宿が見つからずに夜を迎えたら、路上で身ぐるみ剥がされ野垂れ死ぬのではないか……などと考えながら、けっこうチェックイン時間の11時が迫っていることに気づいて焦る。


 なおも歩いていると、さっきのランニング女性が戻ってきた。たぶん彼女のランニング・コース上の「いつもの折り返し地点」を過ぎてきたのかな、と推測していると、手を振って話しかけてくる。「その住所見つけたわ」というのである。ずっとまっすぐ行って右側にありますよ。あなたの前を走って行くから、そのときに指差して合図します。


 おお。ありがたい。わざわざ戻ってきてくれたのだ。


 次第に遠ざかる彼女を見ながら、まっすぐ歩く。交差点を過ぎたときに、振り返って指差してくれた。果たしてその建物はあった。駅からここまで来る間ずっと道の両側にあった、ほとんど見分けのつかないようなれんが造りの古い建物となんら変わらない。窓にはひびが入り、玄関のドアには隙間があいている。その建物が宿であることを示すものはなにもなかった。


 私はしばらくその建物の前に立って、住所をもう一度確認したり、誰か人が来ないものかと思いながらまごまごしていた。しかし誰もいない、誰も来ない。私は思い切ってドアをノックしてみた。えくすきゅーず・みー。返答がない。もう一度。えくすきゅーず・みー! 返答はない。


 建物の前の駐車スペースに車がないところを見ると、どこかへ出かけているのかもしれない。私は荷物を置いて、しばらくその前をうろうろした。ようやく通りかかった人に「ここはホステルですよね?」と訊ねてみるが、知らないという。どうなってるんだ…。

2009/12/06

『アメリカの鱒釣り』を読み返してみた

投稿者 サトウ   12/06/2009 0 コメント

 久しぶりにリチャード・ブローティガンの本を読み返す機会があった。ブローティガンをヒッピー世代のスターに祭り上げた代表作『アメリカの鱒釣り』である。冒頭から表紙の写真に言及する異様な章で始まるこの作品は、全体として緩やかなつながりをもつ一~数ページ程度の短い章の連なりで構成されている。どの程度のつながりかというと、短編集と呼べるほどそれぞれの章が独立しているわけではなく、かといって最初から最後まできっちりつながった長編小説というわけでもないぐらいの、位置づけが難しい本だ。


 だからこの本について、登場人物やプロットによって作品全体の印象を伝えようとするのはむずかしい。とりあえず全体を通してわりに「つながっている」要素をあげると、これはタイトルから想像するのが容易だが、語り手の「わたし」はよく川に鱒釣りに出かける。しかしその語りには幻想が入り交じり、とても開高健やヘミングウェイの「釣り文学」と一緒にはできない。そもそも、釣りそのものが焦点となっているわけではない。たとえば「赤い唇」という章では、語り手が川下に行くためにヒッチハイクしているのだが一向に車が捕まらず、暇なのでハエを捕まえまくる。「ポートワインによる鱒の死」では、語り手は一応釣りをしているのだが、釣りをしながら友だちと雑談している。釣った鱒にその友だちがワインを飲ませて殺してしまうのだが、なぜか「鱒がワインで死んだ例など聞いたこともない」という驚きに語りの重点がおかれている。苦しまぎれにもう一つ「つながっている」要素をあげると、「アメリカの鱒釣り」という《なにか》が出てくる。これは出てくる場面によって、人物であったり、落書きの文句であったり、この本自体を指し示すものであったりするので、とりあえず《なにか》と呼ぶしかないのである。


 文の種類からいっても、その章だけで短編といってもいいようなまとまりをもつものもあれば、小説と呼んでいいのかわからないような一ページ程度の短文もあり、「ウォルナット・ケチャップのもう一つの作り方」というタイトルのとおりほとんど料理の作り方が書かれているだけの章、さらには「『アメリカの鱒釣りをネルソン・オルグレンへ船で送ること』への脚注章」なんていう章もある。「脚注」なのに「章」? この本はほとんど読者の脳内に形成されている通常の論理階梯をたたき壊すためだけに書かれたのではないかと思われるほど、徹底して「わかる」という感じを与えない。


 しかし、この作品がただ前衛的なだけの本かというと、ちょっと違う。文学史的に作家の重要性を説明するときに「いかに新しいか(新しかったか)」を説明するのは常套手段であるが、考えてみれば、近代以降、立派な「新しい」理論を立ち上げて、その理論に突っ走った結果、五十年後の大学生に「なんか重要な作品らしいけど、よくわからない。眠い。『ジャンプ』でも読むか。レポートはネットからコピペすればいいや」といわれるようなレベルまで異質さを極める作品を書いた方々はたくさんいる。ダダやシュルレアリスム、ビートニクといった通常の意味作用を徹底的に破壊する前衛的な芸術運動は、単純にいってしまえば既存のものに「反」をつけた運動だといえるだろう。それに対してブローティガンの作品は、「新しい」文学を創造しなければならぬ、というよくも悪くも「熱い」芸術的野心とは無縁である。むしろ、そのような野心に駆られる人々に冷や水を浴びせるような一歩引いた立場から、作品を書いているような印象を与える。柴田元幸が『アメリカの鱒釣り』は「反」小説というよりは「脱」小説といったほうがいい作品だというのを聞いたことがある。私はブローティガンの作品は脱・表象的なものだと書いたことがあるのでそれに意を強くしたのだが、それはさておき、「脱」小説的であるというのはどういうことだろう。上記のような印象が生まれるのは、おそらくテクストに現れるメタフィクション的な要素に由来する。


 今回訳出するのは、「木を叩く(その一)」である。



木を叩く(その一)


 子どものころ、はじめてアメリカの鱒釣りについて聞いたのはいつ、誰からだったろう。たぶん継父の一人からだ。

 一九四二年の夏。

 あのろくでもない酔っぱらいが鱒釣りについて話したのだ。しゃべれるときには、彼はまるで鱒が知性をもった貴金属であるかのような言い方をした。

 「銀のような」というのは、鱒釣りについて聞いたときの感じを表すのに適切な形容詞ではない。

 なんと言えばいいのだろう。

 おそらく鱒の鉄だ。鱒から作られる鉄。鋳造と熱処理のはたらきをする、雪でいっぱいの澄んだ川。

 ピッツバーグを想像してごらんなさい。

 建物や列車、トンネルを作るのに使われる、鱒からとれる鉄。

 鱒王アンドルー・カーネギー!


《アメリカの鱒釣り》からの返事:

 明け方に釣りをしている三角帽をかぶった人たちを、私は格別の楽しみをもって思い出す。


 この部分を訳出したのは、この短いパッセージにブローティガンの作品の多くに通底する「この作品は言葉でできている」というメタフィクション的な自覚が端的にあらわれているからである。語り手は幼い頃の体験を語るのに、適切な言葉を探している。人は「内容」を正確に伝えるべく、言葉を選ぶ。これ自体は当然のことだ。言葉の選択を間違えれば、「内容」は低速度の回線を通して劣化した音声のように、その輪郭を失ってしまう。ここに最終的に選択された言葉だけではなく、「言葉の選択」の過程自体を書き込むことは、作品が言葉によって作られた虚構であることを暴露する(ただし一般的に作家が言葉を巧妙に選択し、それが言葉で出来ていることを忘れさせてしまうようなリアリティを持った作品世界を構築するということと、訳出部分のように、あくまで作品内の語り手=「わたし」の言葉の選択過程が描かれていること──いうまでもなくこれも一種の巧妙な「選択」であるわけだが──とを混同してはならない)。ブローティガンのテクストが脱・小説的なのは、私たちに小説というジャンルに見られるルールを忘れさせるのではなく、このような仕掛けによってそのルールを思い出させるからである。

2009/11/21

ヨーロッパ旅行記1

投稿者 サトウ   11/21/2009 1 コメント

 見たこともない大金が懐に転がり込んでくることになったのは春のこと、それから初めての海外旅行に行こうと決めたのは七月の下旬。バイト先に相談すると快くクビを言い渡され、晴れて自由の身になった。九月一日に出発し、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、チェコ、オーストリア、イタリア、フランスの計八カ国をまわって十月一日に帰国。まる一ヶ月に渡る旅行中、何日にどこに行ったかぐらいの日記はつけていた。几帳面な性格ではないので、二、三日たってからまとめて記録することも多かった。だから正確さはそもそも信頼できない。その日記をもとに記憶を再構築し、ありありと外国の空気を読者の皆様にお伝えすることはできるだろうか?


 私は部屋の隅に転がっていた手帳を拾って、出発した日のページを開いてみた。


9/1 出発。

 9万→3-ポンド

   →6-ユーロ

 シンガポール空港。

 皿ウドンのようなの6.8ドル

 甘すぎるコーヒー2ドル。

 計8.8ドル(568.233円)


 この一風変わった七行の記述は、むろん前衛的な現代詩ではない。出発日は書いてある通り九月一日、二、三行目は九万円のうち三万円をポンド、六万円をユーロに両替したという意味だ。シンガポール航空に乗ったのでシンガポール経由、だから「シンガポール空港。」と書いてある。


 皿ウドンのようなの、というのは、そうだ、思い出してきた……


 成田からシンガポールまでの便。私は飛行機のなかできょろきょろしながら、たいへん焦っていた。もう乗り込んだのだから焦る必要などどこにもないはずなのだが、搭乗ゲートがあんなに遠いとは知らず(一番遠いゲートだった)、全力で走ってゲートに向かったので、もう着席したのにもかかわらず勢い余って「やべえよ、まじやべえ」と焦り続けていたのだ。ゲートにはまだ人の列があったので、結局のところ急ぐ必要などなかったらしいが、何しろ初めての海外旅行だ。乗り遅れたら夢のヨーロッパが水の泡。まったくの夢ならまだいいが、出発までに払った大金はすでに現実だ。汗まみれになりながらゲートを通り、いま思うと笑えるのだが機内に入る前に家族に電話までした(誰も出なかった。愛する家族が遠い異国の地へたった一人で旅立とうとしているのに)。民族衣装を着たキャビン・アテンダントに案内されて自分の席を見つけ、安心とはほど遠い気分のまま着席する。


 窓の外を見て、ああもう一ヶ月はこの国の地を踏めないのだ、と思うと寂しさを通り越して恐怖を感じる。隣には日本人らしき人が座ってきて、落ち着いた様子で新聞を読みはじめる。自分もさっきもらった新聞を開いてみるが、英語なのでほとんどわからない。ただ政権交代が大きく報道されているのをちらっと認識しただけで、依然として脳内は圧倒的な恐怖に占められている。誰も信じないだろうが、そのときの私を見たらピンクの首輪をつけた震えるチワワに見えたことだろう。ぷるぷる。


 ぷるぷるしながらも、本とか雑誌程度なら出しておいていいのか、それとも一切合切を全部荷物棚に入れなければならないのか気になって、隣の人に尋ねてみた。彼は隣にチワワが座っていることに対する驚きを巧みに隠しながら、「さあ、本ぐらい大丈夫なんじゃないですか」と答える。これがきっかけで、シンガポールまでの道のりが楽しいものになった。Kさんというこの人は自転車のウェアを作る会社をやめて十日ほど旅行するらしい。行き先はチューリヒで、スイス国境近くにあるドイツのなんとかというところに行って自転車の展示会を見るのだという。もともと個人的な旅行として行くつもりだったのだが、それを仕事仲間に話したことによって取材を頼まれ、結局旅行目的の半分以上は仕事になってしまった。


 という話を聞いているうちに飛行機は動き出し、ああ動き出したな、と思いつつも話は終わらない。ああ話が終わらないなあ、と思っているうちに、機首がぐっと持ち上がる感じがして、すでに我々は空中にいるのだった。そういうわけで、離陸の瞬間には、初めての海外旅行に旅立つ二十二歳の若者が経験するはずのドラマティックな感情は一切湧かなかった。


 しばらくすると飲み物が配られはじめたので、私はビールを頼む。さらにしばらく経つと機内食が出る。和食を頼んだらそばが出てきたが、食感はボソボソとしてうまくない。ハンバーグやパンもついてきた。おもしろいのは、そばつゆや飲み水など液体物のほとんどがゼリーや豆腐の容器みたいなものに入っていること。ぴりっとビニールのふたを剥がし、そこにそばを入れて食べるというのは変な気分だ。その必要性は理解できるが、すくなくとも料理をおいしく感じさせる容器ではない。食事を味わう精神的余裕がないことに感謝。Kさん曰く機内食は「エサみたいなもの」。たしかに長時間ただ座って時間をつぶしていると、エサを待っている家畜みたいな気分になる。


 Kさんとはシンガポールのチャンギ空港で別の飛行機に乗り継ぐまでの間、一緒に過ごした。私の日記に書かれていた「皿ウドンのようなの」「甘すぎるコーヒー」は、Kさんと入ったレストランで食べたものである(Kさんがおごってくれたにも関わらず、私は詳細に金額を記している。たぶん、これからの長い旅行期間、きっちりと「おこづかい帳」をつけようと思ったのだろう。しかし、使った金額を実際に記録したのは翌日までである)。Kさんはエキゾチックな見た目のカレーのようなものを頼んでいたが、私は無難に「皿ウドンみたいなやつ」にした。そしたら本当に皿ウドンにそっくりで何のおもしろみもなく、しかも少ないし、まあ安いからいいけれども、もうちょっと挑戦的なメニューにすればよかった。アイスコーヒーを頼んだら、なぜか砂糖とミルクが最初から入れてあってやたらに甘ったるい。ぶつぶつ不平をいいながらも、話し相手がいるのが嬉しくていろいろとしゃべる。Kさんも学生の頃に彼女(現在ではご夫人になっている)とヨーロッパを旅行したそうで、私の不安をことごとく解消してくれる。


 食後、次の便の搭乗ゲートの確認がてら、二人でうろうろする。チャンギ空港は非常に設備がよい。免税店や飲食店もたくさんあるし、休憩室はもちろんトランジット・ホテルまである。あちこちにベンチやソファがあって、自由に接続できるネットブースもあり、空港中を Wi-Fi の電波が飛んでいる。映画館やゲームセンターまであるらしい。私もKさんもMacをもっていたので、ネットサーフィンやメールチェックをしながらだらだら雑談して時間をつぶした。「ちょっと散歩してきます」と荷物の見張りを頼み、手ぶらで空港内をぶらぶら歩き回ったりできたのもKさんのおかげである。屋外に喫煙所を見つけたので、一服。シンガポールのじめじめした空気を肌に感じながらゆっくりと煙を吐き出すと、出発前の「大旅行だ!」という明らかに時代を錯誤した意気込みと緊張が、徐々に解けてくるのだった。

 

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