あ、1本いいっすか?

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2010/06/12

やりたいのはその程度のこと―大学5年生の声明文

投稿者 じん   6/12/2010 0 コメント
 このテスト期間をうまく乗り切れば、5年間通った大学を卒業してシャカイに出て、カイシャでハタラいてカネをカセいでメシをクウ。キュウジツにはバンドやったりスキナコトをする。今あるのは自分にあったやりたい好きな仕事をして充実した日々を過ごしたい、みたいなことじゃなくて、知らないところで知らない生活をしてみたいって欲求。それが2年前の夏初めての一人旅行でカナダに行ったこととか、去年の夏一人で初めて屋久島に行ったこととか、近くの自然公園でプチ山登りをすることと同じように見えてる。知らないものの中に知ってるものを見つけたり、知ってるものが違って見えたり、そういうのをやってみたいだけ。
 甘いとか何とか、大人とか、まじめな若者は思うのかもしれないけど、自分が見たこと聞いたことでしか物事はかれないんだから、どーでもいいのね。社会科見学気分で一つ、知らないところを覗いてみたい。それだけ。
 社会科見学って、興味ないものをただぼーっと見ててもめんどくさいだけで、何が楽しいって、いい壁新聞作るためのネタ探し。そのために真剣に見たり聞いたり、ちょっとお仕事体験してみたりするのがいいんだよ。で、自信満々で、どーよ、オレの壁新聞、いいだろ、よく見てんだろ、深いだろって廊下に貼るの。
 それで実際周りにもてはやされたり、他の奴がやたらほめられたりすんの。で、壁新聞なら、意地張ってればいいんだろうけど、シャカイってのはそーじゃないって、そういうことになってるよね。ここんトコが問題。まあ、ダメならダメで、遊び方考えるしかないよね。学校と同じで、簡単にやめるわけにはいかないだろうしさ。

2010/06/07

続・「ロシア構成主義のまなざし」と「かっこいい」

投稿者 福田快活   6/07/2010 0 コメント
ちょっとバタバタしてて、今回は手短に「対象が男子そのものだとなんで男女の「かっこいい」に反目がうまれるの」についてだけ書きます。「申し訳ありません」だけど、よろしくお願いしますm(_ _)mさてこの、なんで反目が生まれるかだけど、「かっこいい」=「オトコだね~」って考えると見通しがよくなる。男子にとっての「オトコ」と女子にとっての「オトコ」がちがうからだね。

男子にとって「オトコ」は男である自分自身と切り離しては考えられない。頭のどっかで「オトコ」と自分が地続きなのを意識してる、てかそれは切り離したくてもできない。たとえば健さん(←9/12の記事)的な黙してかたらず、ただ己が勤めを果たし、ひとり寂しげな背中が去っていく、だけの「オトコ」があったとして、そうなりたい「憧れ」とか「オトコだ!」と思う「ときめき」とかなくっても、世間一般ではそういうのも「オトコ」として称揚されてて、「オトコ」の一員であるおれもそうあれ、という無言の要請にさらされている。それが男子にとっての「オトコ」であり「かっこいい」だ。「憧れ」「ときめき」のところは個々人の趣味志向に関わるけど、世間一般で「オトコ」とされてるものと絶えず闘っている、そうしてはじめて男子の「かっこいい」はつくられる。もちろん女子にそんな要請はない。女子にとっての「オトコ」はいいと思う異性に過ぎない。女子本人と関係がない、という点で男子の「ジョシ=かわいい」と同じ。

自分がどうあるのか、どうありたいか、どうあるべきかと関わってくる男子の「かっこいい」と趣味志向としてある女子の「かっこいい」では「かっこいい」と思えるためのメカニズムが全然ちがうから、自ずとかわってくる。あえてとーっても単純に言っちゃうと男子はより雰囲気・風格みたいなものに力点をおいて「かっこいい」を感じるし、女子はより造型に力点をおいて「かっこいい」を感じる。自分と関係ないんだから、外見重視で「かっこいい」を判断するのは当然だね。男子の「かわいい」なんか外見以外なーーんにも見てないし(笑

2010/06/03

iPad購入!~電子の本と紙の本(3)

投稿者 Chijun   6/03/2010 1 コメント
iPad購入しました!
という報告はネット界隈あちこちで見かけるけど,わたしもその一人です。
優れたデバイスとは何か?
などと言ってしまうと大げさですが,わたしが大切にしたいのは,「身体の延長」であるかのように,ほとんど無意識のうちに,自在に操れるということ。
その点,たとえば紙の本というのは実に優れた「デバイス」です。ほとんど重さも意識させないし,折り曲げたり,たわめたり,柔軟にかたちを変えることもできる。それにパソコンなどに特有の,読み込みによる遅延もない。
それに対して,いわゆるデジタル・デバイスはどうか? デスクトップ・パソコンはもちろんのこと,ノートパソコンでも,重いし,固くてかたち変わらないし,眼との距離感は遠いし,あまり褒められたものではありません。わたしはiPhoneも使っていますが,画面の小ささや,読み込みによる遅延にはずっと不満を感じ続けている。
そこで,iPadの登場です。iBooksをはじめ様々な電子書籍ビューアが早くも手に入るようになっており,レイアウトの美しさ,読みやすさへの配慮,コンテンツの充実など,しのぎを削っています。しかもすべての動作において,読み込みは極めて早い。あとわたしが特にプッシュしたいのは,「眼との距離感の近さ」です。インターネットで文章を読むときに,パソコンの固定位置というのがどうしても遠く感じられません? 自由に手に持って位置を変え, たとえば本を読むように自在に,自分の身体の延長を扱うようにして,コンテンツを楽しめる。それがわたしの理想の「デバイス」です。
iPadが登場し,そんなわたしの理想へとまた一歩近づいたように思います。ただ,これけっこう重いんですよね…。もちろんこれだけの高機能でパソコンなんかに比べたらずっと軽いのですが,紙の本と比べてしまうとちょっとがっかり。
紙の本が長い年月をかけて熟成された「デバイス」へと成長したように,デジタル・デバイスもゆくゆくは,今よりずっと大きな自由を手に入れていてくれたら,と思います。
みなさんの理想の「デバイス」は,どんなデバイスですか?

2010/05/26

つぶつぶ

投稿者 じん   5/26/2010 2 コメント
 少し前に流行った脳科学の文庫本。本棚の奥から引っ張り出して、少しだけ読み進めていたら、体が溶けていくような感覚に陥った。人間の心はニューロンの発火だ。生命活動は化学現象で、肉体は原子の寄せ集めだ。そんなことを考えているうちに、自分と自分以外の境界線があいまいなもので、自分の存在が自然現象の一つのように思えた。鼻の穴で、冷たい空気の流れとして、原子と原子の交流を感じる。

 自分が自分だと思っているつぶつぶの塊が、別のもう少し緩やかなつぶつぶの集まりをかき分けながら歩いていく。向こうからまた別のつぶつぶの塊がやってきて、少し離れた所から、緩やかなつぶつぶを震わせ、その振動が僕のつぶつぶを震わせる。僕もまたつぶつぶを震わせて、あいだのつぶつぶ同士震えを伝え合って、やがて相手を震わせる。繰り返すうち、僕のつぶつぶの震えはだんだんと激しくなる。震えて、震えて、やがて、弾け飛ぶ。

 弾けたつぶつぶの震えは、さらに周囲のつぶつぶを震わせて、共鳴し、次々とつぶつぶの塊を弾けさせる。

 弾けたつぶつぶはお互いぶつかり合いながら、ピンボールのように駆け回り、やがてまた寄り集まって、いくつかの塊と、そのあいだを埋めるゆるやかな集まりとなる。弾けて飛び回る前とは少し違う組み合わせで、似たような形の塊になる。こうしてつぶつぶの塊である僕らは、あらゆるものと少しずつつぶつぶを交換していく。

 休日の午後、たまの読書の合間、そんな実のないことを考えていた。

2010/05/22

「ロシア構成主義のまなざし」と「かっこいい」

投稿者 福田快活   5/22/2010 0 コメント
フランツ・フェルディナンド「Do you want to」のCM、あれはソニーウォークマンだった気がする、に出遭ったのはいつだっけ?ネットでみてっとどうも2006年くさい。ていうのもシングル発表が2005年、収録アルバムは2006年。聞いてすごいいい!ダンスビートきいててロックでダサかっこいい!思ってすぐ、アルバム買った気がする。だから2006年の推測なんだけど、そんな枝葉はさておき、この先になにがあんのか?てアルバムジャケットに使われてたデザイン。女の子がインディアンみたいに呼ばってるあれ。あれはロシア構成主義を代表するロトチェンコのこれを下に敷いてる。

でタイトルにある「ロシア構成主義のまなざし」展のはなしになる。ロシア構成主義(て打ち続けるのも長いので次から製造業の工場風省略形で「RK(Rosia Kouseisyugi)」)は、ひとこと、「ダンシ」(男子)だった。地球がほんとは楕円なように、「神がつくりたもうたこの世界は美しく単純な数式で表せるはず」と聞いても「そげな信仰は共有できまへんな」としか思えないように、純粋な円とか直線はほとんどないこの世を幾何学的な、整形された円と直線に集約してしまう大胆さはちょっとひく。その「大胆」は「乱暴」でもあって、ダンシ的あるいはファシズム的な、明快さを好む「乱暴なぶったぎり」だ。ナチスのポスターとか思い出してほしい。でもナチスはそこまででもないけど、RKはあきらかに「かっこいい」。ぢゃあ「かっこいい」は「ダンシ」で、「かっこいい」は「ファシズム」なんか?「かっこいい」についてあまり考えてるひと見たことないんだけど、思い出すのは宮沢章夫くらいで、やっぱりこの人はすごいなって思ったんだけど、こういう空気的な概念をもとから共有してない人につたえるのはとてもむずかしい。宮沢章夫の「かっこいい」も正直よくわかんなかった。hip、60年代?ジャズがいけてたイメージなんだけど英語の「いけてる」に相当するhipを、小説一冊読み終わってはじめて宮沢章夫がわかった気がする、ってのはほんとそうだと思う。hipはいまもよくわかんないけど、ケツと関係あるんだろな、ってのはわかるww オトナに関係する、って感じかな。

話はもどって「かっこいい」だ。誰もがRKをみて「かっこいい」と思うとは限らない。おれが思った、てことはおれの「かっこいい」に過ぎないかも。だからこっから考えるのはおれの「かっこいい」について。補足しとくとおれは80年代前半生まれニッポン男子。あえて「80年代前半生まれニッポン男子のかっこいい」について考える、と言い訳しとこう。

「かっこいい」が「ダンシ」なのは自明だ。「かわいい」が「ジョシ」なように、ジェンダーを浮かび上がらせる志向っていえるかもしんない。「かっこいい!かっこいい!!」叫んでる女子はあんまいない。対象が男の子の場合は別だけど(彼、チョーかっこいい!)。別にほかのもの、そうね車とか電車とかバイクとかみて「かっこいい!」叫んでる女子は思い浮かべにくいけど、叫んでる男子は容易に想像できる(実際いるかいないかは別として)。気にしたいのは女子が「対象が男の子」だったら「かっこいい!」て叫びまくれる、てとこで、これはなんだろう?女子がじぶんにとって魅力的な男=かっこいい、て考えると「かっこいい」=「オトコだね~」て考えられる。女子がいいと思う「オトコ」と男子がいいと思う「オトコ」に当然ちがいはあるから、女子の「かっこいい」と男子の「かっこいい」にも違いがある。

でも身の回りで男の子対象いがいで「かっこいい!」て叫ぶ女の子を思い出すと、男の子いがいが対象のときの「かっこいい!」は男子の「かっこいい!」と違いがない。そしてそうした子は女性誌がきらいで男性誌が好き☆って子でもあった。対象が「オトコそのもの」、つまり女子からみて対象にそもそも「オトコ」が充填されて明視できるときだけ女子の「かっこいい」は自立する、てこと。対象のオトコ性が自明ぢゃない場合、車でも電車でもバイクでも、女子と男子の「かっこいい」に違いはない。

これはけっこうおもしろくって、なんで対象が男の子のときだけ男女の「かっこいい」に合意が得にくいの?てのは女子対象の「かわいい」にもあてはまる。合コンで「かわいい子連れてきたから!」っていわれて、現地とか駅前で「おいおい、あの集団ぢゃねえよなー(-_-)」ておそるおそる接近してみると、沈黙以外に術がないのは、幹事の子が自分より「かわいい」が下の子しか連れてこない女子だったから、とか審美眼が狂ってる子だから、では「説明がつかない!!」って経験は男子なら誰でもあるはず。あとで問いつめてみて、その子に何のわるびれもなく「え?かわいくないの?かわいくない?なんで?なんで?」とむしろ「あたしショック(>_<)」な視線に、すべてを諦める修行僧の境地に達したこともあるはず。でもおなじく女子いがい、が対象だったら、男女の「かわいい」が反目することはあんまりない。男子の無関心、理解できない、はあるけど。これは「かっこいい」も同断だね。

この問題はちょっと後にまわしてとりあえず話まとめると「かっこいい」=「オトコだね~」で、男女が感じる「かっこいい」に反目はない(対象が男子そのものの場合は別。)。ただ男子の方が関心の傾斜は高いので、女子の不理解はある。「オトコであること」を通してモノ・コトを受け止めるかしないかの違い、であり、男子の感覚からすると世界は「オトコ=かっこいい」で充填されてるけど、女子は「ジョシ=かわいい」で充填されてるってとこかな☆

長くなったので続きは次回。ばいばいき~ん^(ノ◎皿◎)^ノ

対象が男子そのものだとなんで男女の「かっこいい」に反目がうまれるの
RKについてもうすこしちゃんと
フランツ・フェルディナンドとRKの違い
RKからみる「かっこいい」について
あたりを詳しくやりま。羊頭狗肉にならないよに

2010/05/19

二つの対談~保坂和志と佐々木中,大江健三郎と中村文則~

投稿者 Chijun   5/19/2010 2 コメント
最近立て続けに,文筆家同士の対談を二件ばかり聞いてきた。
一つ目は,五月九日,青山ブックセンター本店での,保坂和志と佐々木中の対談。二つ目は,五月十六日,講談社での,大江健三郎と中村文則との対談。
前者は佐々木中という,ベテラン作家保坂和志が一押ししている若手評論家の対談で,後者は大江健三郎賞の授賞式であった。奇しくも両者ともに「ベテランー若手」というペアだったが,共通点はそれだけではなかった。ステージ上に二人並んではいるのだが,どうも話が噛み合っているように見えない。単純に発話量の点でいっても,一人が九割方しゃべり倒すという,およそ対談とは呼びがたいものであった,と思う。ちなみに,前者では若い佐々木中が,後者では,ベテランの大江健三郎が大半の時間しゃべっていた。
別に内容を批判するのではない。ただ「対談」という以上は,そこは独演会のステージでもなければ,くだを巻くための居酒屋でもないのだから,なんというか,二人の間で,「建設的な発展のある話」を聞かせてもらえなければ,どうも損した気分なのである。別に「激しい衝突」でも構わない。とにかく「ふたり」いなければ生じないような何かを期待したい。こっちは身銭切って時間をつくって聞きに行ってるのだから。
「対談」というのもある種のライブなわけで,うまくいくときもあれば,しらけるときもあるのでしょう。本をひとり自室で読んでいるだけでは得られない何かを一時きらめかせてくれるような,名対談はどこかに落ちてないかしら。
あっ。そうそう。来月は最近「「悪」と戦う」を出版した高橋源一郎と,昨日「クォンタム・ファミリーズ」で三島賞を受賞した東浩紀の対談を,再び青山ブックセンターに聞きに行ってきます。いいライブに立ち会えることを祈ります。

2010/05/13

あんず

投稿者 じん   5/13/2010 0 コメント
 高尾山帰りで寝過ごした各停の、終着駅が高幡不動。呼ばれたかな?と思いつつ、数年振りに珈琲はうすあんず村に足をのばし、マイルドブレンドとちょび助でひと休み。
 「やっぱりいいお店だな」なんて珈琲飲んでると、2人の女の子が、斜め向かいの席に入ってきた。何気なく追う僕の目と、隣の席にカバンを置こうと横を向いた彼女の目がぴたり。
 3つ星つけていたお店に星を1つ上乗せして、珈琲をお代わりしました。その日の夕焼けがピンク色に染まったのは出来すぎでしょう。


 

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