あ、1本いいっすか?

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up-date: Sun, 18, Mar.


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2010/02/11

お風呂シンガーの皆様へ

投稿者 じん   2/11/2010 1 コメント
 私もその一人です。心は湯けむりとともに大きく広がり、いい気持ちで歌います。先日は、ジ・インプレッションズの名曲、ピープル・ゲット・レディを歌っておりました。ひとしきり歌った後、ふと、日本語で歌ってみようと思い立ちましたが、そもそも英詞もろくに覚えていませんので、さてどうしたものかと思いましたが、うろ覚えの英詞を、乱暴に、1番だけ翻訳した気分ででたらめに歌い、案外と気持ち良かったものですから、そのまま3番まで歌いあげました。

    あの汽車に乗って (People Get Ready)

    さあ行こうか ほらもう待ってる
    余計なこと考えずに
    大事なのは 踏み出せること
    胸張って 前を見て

    さあ行こうか あの汽車に乗って
    新しい色見つけに
    グレイの雲 肩に背負うような
    その部屋を抜け出そう

    さあ行こうか 手をつないで
    一緒なら 来れるかい
    ほらあそこに一つ光っているものが何か
    知りたいでしょ

 ジ・インプレッションズがこの歌を歌っていたのは、ちょうどアメリカで公民権運動が盛んであったころだと、テレビで見知っていたのですが、私は当然生まれておらず、また、幸いなことに、差別を受けたようなこともございませんので、彼らのような意気込みで歌えるはずもなく、今の私が歌ってみると、元の名曲とは似ても似つかないような代物になるわけですが、それでもこの私の日本語版も、大それたことではありますが、何か彼らの歌と通ずるところがあるのではないかと、そんなように感じられるのですから、不思議なものです。

末永くおしあわせに ~四谷怪談~

投稿者 福田快活   2/11/2010 0 コメント
お岩さんの職業は「惚れた男に裏切られて祟り殺す」だ。
ヲトコが好きだから、もおイケメ~ンってなったら逆ナンして一緒なって、でもダメンズだから男はサイテー。裏切られて殺されて、クヤシイシカナシイシ
幽霊になって男を祟り殺す。

実録、歌舞伎、合巻いろんな作で「幽霊になって祟り殺す」をしてきた(有名な『東海道四谷怪談』でもこのキャラだよね)ある日、ジョブチェンジするんだ。

妻 子持ちのタミゴロー(名前萌エの彼女はいつも似たよな名前に惚れる)がスキッ♡♡てなっちゃって、もう敵討ち諸国巡りで大変なタミゴロー夫婦だまして家に くわえこんで、タミゴロの足洗って「おまえのおみ足が洗いたくってしょーがなかったの」。幸せだったろーね。もっと「いやらしきこと」シタかったかもしん ないけど夫婦にすりゃうざいから、引っ越される。(ここら辺はいつも通り)

恋しさ患って、死んだ。

埋葬された遺体を狼が掘りおこす。
っと!お岩は死んでなかった、仮死状態だった(*^ー^*)∠※パパーン!!。・:*:・
狼は猟師に耳撃たれ、猟師は駈ける狼に逃げ、現れたのは以前お岩がいじめた狐;化カシテヤルゼー。髑髏に馬の骨さして狐の術、ホイ!お岩を幽霊になったつもりにした。

「幽霊になって男を祟り殺す」が商売だったお岩が幽霊気取りにジョブチェンジwて

「あたしは幽霊よ!男を殺してやるーー」そーれ、ってんでタミゴロの家いって男の首をチョーン!女の喉にガブー!(ほんとは南瓜ひっこぬいて石地蔵に喰らいついただけ。口から垂れる血は歯の欠けた自分の血)
びっくりしたのは村人、死んだはずの女が南瓜ぶら下げてヒエラヘエラ笑ってる。
タタリヂャー!
でもこの幽霊朝明けたどころか昼なってもいるし、足もある。ァ、ただの基地外だ(笑)
小学生には石ぶつけられたりしたけど、村の相互扶助は手厚くって畑の番すりゃおまんまくれる。流れもんと死裝束のまま(チョット白無垢っぽくない♪)蓮の葉かぶって(チョット綿帽子っぽくない♪)、シアワセナ祝言あげましたとさ。

(⌒▽⌒)/゜・:*【HAAPY WENDDING】*:・゜\(⌒▽⌒)

2010/02/06

一人称って変ですよね

投稿者 サトウ   2/06/2010 0 コメント
 更新が滞ってすいません。
 数日前東京外大に行って柴田元幸、都甲幸治、和田忠彦のシンポジウムを聞いてきた。
 お題は『現代文学と子ども』。
 ここで内容を全部紹介するわけにはいかない(というかそもそも全部覚えてるわけないし)が、気になったことが一つ。
 このお題とどう関わっていたのかは忘れてしまったが、都甲先生がバフチンのポリフォニー論を一人称に関しても適用できるのではないかという論を展開したのである。
 バフチンのポリフォニー(多声性)論というのは、ドストエフスキーの作品においてはそれぞれの登場人物の様々に異なる主張や意見がことごとく対立したまま描かれているとか、そういうことだ。バフチンによれば、それまでの文学作品は、一見異なる意見を持つもの同士の対話があっても、最終的には作者の肩入れする方向に回収されてしまっていた。
 三人称の小説であれば、作家が公正な審判のように、ある種の誠実さに基づいて人物を造形すれば、そういう優れたテクストができるのだろう、という気はする。それは「違う人を、違うように」描くということだからだ。
 しかし、それは一人称でも同じことなのである。私たちは、日常的に「同じ人を、違うように」提示し続けている。例えば以前千歩くんが言ったように、私たち日本語話者は、当然のようにさまざまな一人称を使い分ける。友だちの前では「おれ」、先生の前では「ぼく」、面接官の前では「私」など。そのことについていちいち混乱を覚える人はあまりいないだろうと思う。なのになぜ、小説の中ではあれほど人称がきっちり統一されるのだろう?

2010/02/01

短めの小説

投稿者 Chijun   2/01/2010 0 コメント

「本日出展を予定しておりましたブースNo.XX「◯◯△△建物(株)」について、当センターに提出されている求人は充足しました。したがって、本日は欠席となりました。」

とA4版わら半紙に刷ってある、それが挟んであったのは、就職合同説明会で配られたピンク色の冊子で、パラパラめくってみると沢山の求人票が次々に目に飛び込んできて、最後のページ数は「-134-」と記されてある。

ひるがえって表紙を見ると、上から順に、開催日、開催時間、会場、主催者が書いてある。

「平成21年9月8日(火)、9日(水)、10日(木)」

そうか、あれからもう三ヶ月が経っているのか。これではあっという間に30歳フリーター職歴なしのわたし、になってしまうではないか。

「13時00分〜16時00分」

29歳フリーター職歴なしのわたしには少し早く感じられる時間の、それでも神経質で几帳面なところもあるわたしは30分前には会場に着いて見渡すと、「インフルエンザ流行のため着用義務」とされていたマスクをしているのは10人に1人か、2人しかいなかったと思う。もちろんわたしはしていった。

もう一度ひっくり返して裏表紙を見ると、そこには会場案内があって、各ブースとその番号が図示されている。そうそう、最初わたしが行ったのは11番のブースだった。そこではベテランにしては落ち着きのない男性社員と、じっと目の前一点を見据えて動かない若い女性社員が待ち構えていた。

この冊子には、黄色い「企業訪問カード」というのがまた挟まっていたのだが、そこにわたしの字で、名前や年齢や住所・連絡先、学歴の欄が埋められてある。席に着いてこのカードを差し出したとき、男性社員の方は「いらっしゃいいらっしゃい」とわたしの顔ばかりを見てえへらえへら笑っているばかりだったが、女性社員はちらと鋭い一瞥をカードに与えた(ような気がした)。

各ブースには二つの席があり、わたしがその席に着いて間をおかず、若い、肌の灼けた男の子がとなりに座った。彼が出した訪問カードをちらと見ると、新卒の子のようだった。わたしより七つも年下である。大学に在籍しているようだったが、学校名は聞いたことがなかった。

会社訪問の日時を言い間違えて慌てて自分で訂正したり、創業年を言い間違えてニコリともしない女性社員にすかさず訂正されたりしながらも、なんとか男性社員はわたしたち二人に説明をし終えるまでに漕ぎ着けた。そこでようやく気付いたかのように彼は企業訪問カードに目を留め、老眼に苦しみながら、まず男の子の素性を確認した。

男の子に向かっては「君スポーツはやってますか?いや〜、やっぱだいじなのは明るさと体力なんですよ!」と大きな口を好意的に開けてのどちんこを震わせていた男性社員は、わたしのカードを見て一変、「ええ〜。ほんとうに。あぁ、そう。そうかあ。いやぁ。すごいねえ。へえ〜」と老いた眼をさらに細くしてカードとわたしを見比べた後、「でもねえ、あなたみたいに優秀な人がうちなんかに・・・いや〜もったいないなあ。もちろんだめとはいいませんよ。学歴だけでねえ、そんなことは言えませんよ。でもねえ、もったいないなあ」

「そうですか?でもみなさん全く同じようにおっしゃって、わたしを排除するんです」

なんてお行儀の悪い言葉は「優秀な人」わたしの口から飛び出すはずもなく、予定調和的に最後に名刺を受け取って席を立った。見ると男の肩書きは「東京支社長」だった。

それから確か26番のブースに移ってまた話を聞き、とりあえず訪問しようと前日決めていたのはその二社だけだったので、挙動に気を遣って神経をすり減らし、慣れない集団の熱気にも疲れてしまったわたしは、会場を出てトイレに入り、便座に座り、一人になって大きく息をついた。三時間の開催時間のうちまだ一時間も経っていなかった。それでもわたしは帰ることにした。その時間に会場を出ようとする人はいないようなので、トイレを出るとあまり目立たないよううつむいて歩き、エレベーターは使わず階段でそっと降りた。

ーーー


帰りの電車の中でくたびれて目をつむっていたら、ふと小説の冒頭が聞こえてきた気がした。

「こんにちは」

「・・・・・」
「こんにちは」
「・・・・・」
「こんにちは」
「・・・・・」

これだけだ。これがわたしの新作のどうやら全てのようで、その先はいくら粘っても聞こえてきそうになかったから、無理にその先をこじつけるようなまねはしなかった。

こじつける。そうだ、まさにそんな感じだ。自分に鞭打って机に向かっていた時はいつもこじつけるかんじがして、そうじゃなくてとつぜん頭の中に鳴り響くような稀なときだけ、わたしの小説は自然に進んだ。

とはいっても、今回のは冒頭の六行分しか進まなかった。誰やらわからぬ人が「こんにちは」と、これもまたわたしにとってもその誰やら分からぬ人にとっても未知である人に問いかけているようなのだが、「・・・・・」と返事がない。二人ともわたしの新作の登場人物らしくはあるが、この調子では二人ともどんな人物なのかはっきりしないまま延々と続き、何もないまま終わってしまいそうだ。いつの話か、どこの話かのイメージも付いてない。それでも頭の中に鳴り響く小説の声はここで中断してしまったのだから、しかたがない、と思う。

この小説に続きはあるのでしょうか?

仮に続きがないとしても、わたしはこの小説がこれだけでそんなに嫌いではなかったのだから、困ったものだ。

2010/01/26

《顔》

投稿者 じん   1/26/2010 0 コメント
 壁に空いた穴の向こう側から、すぐそばに座った客を見つめている垂れ目の《顔》。いやらしさはない。優しげな、どこか悲しそうな目で、そっと見守っているようですらある。視線の先の男は、自分が見られていることには気が付いていないようだ。
 ここはファーストフード店の喫煙室で、仕事を終えて疲れたサラリーマン、友人の悩みを大げさに同情しながら聞く中年女性、げらげらとはしゃぐ学生たちが、同じ空間にいながら、違う世界、違う時間を過ごしている。やがて手元のコーヒーやコーラ、フライドポテトなんかがなくなり、最後の一服を終えれば、またそれぞれの場所に帰っていくのだろう。そんななか、《顔》はずっと、同じ場所で、いつも同じ一つの席を、見続けている。その席に座った客のうち、いったい何人が《顔》に気がつくだろうか。今座っている男のように、視線にすら気がつかないのがほとんどだろう。それでも《顔》は見守っている。
 男がタバコの火を消した。さっきより少し表情が和らいで見えるのは、コーヒーとタバコのせいだけではないかもしれない。



2010/01/23

コラージュ@京都(去年のことだけど)

投稿者 福田快活   1/23/2010 0 コメント
木製の床は、音が脚からつたわってくる。とくに低音が。

まずはこれを開いて音
楽を再生して。再生する音源はどれでもいい。


20畳ほどのフロアで踊る客は少なめ、左に右に体をすべらせるステップ、流りなのかみな同じようなステップ、混雑に体同士をぶつからせることもなく銘々が音楽と踊りを堪能している、のだろう。足につれて世につれ、ゆらす頭は朦朧と酩酊してくのは酒にか音楽にか攪拌された意識の粒はイザ、ビートごとに飛びだしてく交感、うねって戻ってく瞬間


小さいハコだとありがちなのは閉鎖感。常連同士の、排除することで高まるナマカ(流行らなかったね(つд⊂))感、意識的・積極的に排除を進めてるつもりはないんだが、人口の83%が顔見知りとなったときに83%の意識から抹殺される17%、は思うしかないだろう――帰ってドラマでも見ヨッ☆……あ゛見たいドラマがなかった・・・orzそんな2009年


ではそんなことなかった。もっと正確にいおうKYOTO JAZZ MEETINGぢゃそんなことはなかった。ちっさなハコで、フロア20畳にラウンジ20畳。常連もいればそうぢゃないのもいる。それぞれがそれぞれで好きに自分たちの時間を酒で音楽で会話で楽しんでる。ソファでいちゃついてるカップルはご愛嬌の定番。微笑を誘う。こうでなくっちゃ!踊りながら体を寄せあうカップルもおなじ


波にさらわれて潮まかせな夜の魚たち、ながれの源は一段たかい壇上、刈り込まれた髭、夜を熱帯にするサングラス、クビでヘッドホンおさえ、手は自働的にさまよい音がひいてはよせるわだつみに、あしたはないと浜千鳥、たつは都の唐錦、いろも綾によする光、となりの男がくずおれた。呑みすぎ踊りすぎ楽しすぎ


DJブース上、沖野好洋は、兄沖野修也とKYOTO JAZZ MASSIVEをやってると言った方が通りがいいだろう。クラブジャズの定番(1)、と知った口たたくのは慎もう。。。でもクラブジャズてなに?都 会が夢でいられる音楽。都会ではオサレな男女がオサレなクラブでオサレな腰ふってオサレな時間に流されてゆく。もういまのニッポンぢゃ都会にユメなんかな いことはばれてしまってる。「都市の空気は人を自由に」なんかしない。でも都会に夢を感じることができる人はいる。もし少しでも感じられるなら、クラブジャズを聴いてみるのもいいかもしんない。


コラージュの客のありかたは見事にそういう意味でクラブジャズ的だった。都会が夢として存在してた。ちょっとその夜の客数は少なかったが、他人に干渉するこ となく(鬱陶しいナンパもないし)それぞれが自分の持ち分で楽しんでる。あの数時間だけ、コラージュの空気は「人を自由に」してた。そう思えば「コラージュ」って名前もふたむかし前のポップアートのステキさ、ニューヨーク的ステキさに繋がる。



(1)
もう、音楽のジャンル分けは「みんながわかった気になれる用」に細分化されすぎて、かえって誰もわかれないアミダクジとしか思えないんだが、むかしTSUTAYAで沖野修也が「ラウンジ」となってたのは腑に落ちた。もうジャンル分けは音楽性じゃなくて雰囲気の問題でしかないんだ。あるいはジャンル分けはそもそも雰囲気の問題でしかなかった。

2010/01/21

ダダの詩を作ってみた

投稿者 サトウ   1/21/2010 0 コメント

ダダの詩をつくるために


 新聞を用意しろ

 ハサミを用意しろ

 つくろうとする詩の長さの記事を選べ

 記事を切りぬけ

 記事に使われた語を注意深く切りとって袋に入れろ

 袋をそっと揺り動かせ

 切りぬきをひとつずつとりだせ

 袋から出てきた順に一語ずつ丹念に写しとれ

 きみにふさわしい詩ができあがる

 今やきみはまったく独創的で魅力的な感性をもった作家というわけだ

 まだ俗人には理解されていないが


(塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』九〇頁 トリスタン・ツァラの詩)





 というわけでやってみました。使用テクストはドン・デリーロ『コズモポリス』(小説)、ニーチェ『この人を見よ』(哲学)、緒方弘一『今日はこれ食べたい!』(料理本)である。偶然開いたページをコピーし、これら三つのテクストから適当に数行ずつ切りとり、それをさらに文節ごとにばらばらにして混ぜ合わせ、ランダムに配列し直した。改行・行空けはとりあえず文字列が完成した後適当にやってみた。





  自分のきみは濡れている。

  しゃぶしゃぶ用一瞬どころかきみを座っている──7~8cm 来ない


  「硬くなりっこないわ。

  と彼女は言った。

  走者という感じる。

  その日を羽目に日にはな。

  生まれついてのを背負わされている。

  わけではない。シートベルトをしてきみは寂寥感や

  私は事実上、五時間もユダヤ教・キリスト教的な皮をむく

  麻痺させて

  タイプだよ」



  晴れ着に……過ぎ去った……とんでもない、きみのことを



  とんしゃぶであったか私は

  ジョギングのではということだが──すっかり痩せこけ、人々はジョギング

  誤った何者かが感じないって。

  どれくらい自分のような……こういう連中がたるんだ体を見つめる。

  六時間も!──(写真は一人分)



  三つ葉2束興奮してしまった



  許されないとわかっているという運命

  飢えに窶れた

  「お尻のあるし、タイプの歴史的研究にさえ、心理的にそこにこういうから解放される。

  までに、なくなった見つめて、大根1本と語っているあいだ、わかる。


  投げ出せ

  悲劇的な

  わかっている


  「それだって豚ロース肉芸術によって包まれて半分に切る起きているかことを材料/生まれついて進路を求めるようにほかはしていて、男が衰えていく、わけだから」


  その揚句、──本来の同じさ。生理学と言えば俺には自然科学との全面的に切り落とし、そんな強要される悟った、走るのを恐しい多くのにわかにきみがみるなら、使命のといういたのだ! 余りに時期もグルリと悲しい重荷を座っている抱えて決定し、電気が自分の然るべき医学と精神の芸術のような「帝国」来るすると、十年、私は切り、400g 飢餓感をはずよ」


  きみはことを。そのあいだ何も女だ。所業。

  きみが声に

  日が長さに

  自分のいまさら座ったという栄養摂取は

  阿片を

  きみは恥じた。椅子にもうところでうちに

  きみを無益で命ずる体臭がである。気紛れ境に、長さを


  私は何が4人分姿をこの病根を

  私の麻酔剤的はっきり陥って謙遜さを厚く

  私は

 

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