あ、1本いいっすか?

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up-date: Sun, 18, Mar.


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2010/05/01

チャック・パラニク(チャック・パラニューク) 2

投稿者 福田快活   5/01/2010 0 コメント
nobutovskiの更新が遅れまして、すみませんm(_ _)m 4/28更新と予告したのですが、5/1になりまして、、、今後このような手抜かりのないよう、急度叱り申しつけておきますれば、何卒、何卒、御見物衆のかわらぬご贔屓ご引き立て、願いたてまつりまするう~~~m(_ _)m

さて前回はどこまで訳したんだっけ?――そう、パラニクが書くのは「書くこと」で他のひとと一緒にいれた=つながれたから、てとこまでだったね。パラニクに言わせれば『ぼくの本はぜんぶ「寂しい人が他の人とつながる方法を探してる」』で、こっからは具体的に『ファイト・クラブ』はじめ彼の小説のはなしがはじまる――

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ファイト・クラブ』の成功について、ぼくのお気に入りの説は、人と人がいっしょにすごす枠組みを提示したから、なんだ。人は新しい繋がりかたを知りたがってる。『キルトに綴る愛』とか『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』とか『ジョイ・ラック・クラブ』のような本をみてよ。こうした本はぜんぶ枠組みを提示してる―キルトをつくったり、麻雀したり―そうしたら人が一緒にいれて、自分たちの物語をわかちあえる。こうした本はぜんぶ、共通の活動あって結わえられたいくつもの短い物語なんだ。もちろん全部女の物語。男の社交の新しいモデルってのはあんまり見かけない。そうだね、スポーツ、納屋の棟上げ。それくらいだね。

で、いまファイト・クラブがある。良かれ悪しかれ。

『ファ イト・クラブ』を書き始める前、ぼくは慈善ホスピスでボランティアしてた。ぼくの仕事は診療予約や支援グループのミーティングへ車で人を送ること。そこではてきとうにみんな座って、そう教会の地下室とか、病状くらべたりニューエイジ体操したりして過ごしてる。そうしたミーティングはぼくに居心地悪かった。どんだけ隠れようとしてもみんなぼくも同じ病気もってんだろと穿つんだ。ただ見守ってるだけ、ホスピスにもどって責任を果たそうとしてるだけの観光客、って穏便に言える方法なんてありゃしない。だからぼくは、焦点のあわない自分の人生を慰めようと重病者の支援グループに出没する男の物語を自分のなかでつくりあげていった。

多くの意味でこうしたとこ-支援グループ、12段階回復グループ、デモリション・ダービー-はむかし宗教が果たしてた役割を果たすようになってる。そのころぼくたちは教会にいって自分の最悪な面、ぼくたちの罪、を曝してきた。じぶんの物語を伝えるため。許されるため。贖われ、共同体にふたたび受いれてもらうため。この儀式はぼくたちが人と繋がるための方便で、不安が、ぼくたちを人間性からあまりに遠ざけてしまって自分が失われてしまう、まえに解消させる方法でもあった。

こうしたとこでぼくは誠実な物語を見つけた。支援グループで。教会で。どこだろうともう失うものがないとこ、そこで人はもっとも真実に近づいてた。

『インビジブル・モンスターズ』を書いてる間、ぼくはダイヤルQ2に電話して、ひとにとびっきりのエグい話をきかせてよ、てせがんでた。電話してこう言えばいいんだ:「やあ、みんな元気?アツイ兄弟姉妹近親相姦のはなし探してるんだ。おまえの聞かせてよ!」とか「あんたのいっちゃんエグくて不潔な女装・男装ファンタジー聞かせてよ!」そうすりゃもう、何時間ものメモさ。そこにあるのは音だけだから、猥褻ラジオショーみたいなもん。お粗末な役者もいれば、胸張り裂かれることもある。

ある電話で男ノコが話したのが、「てめえの親を児童虐待と育児放棄で訴えるぞ!」て脅されたんで警官とセックスさせられたことだった。警官はその男子に淋病をプレゼントして、彼が助けようとした両親は・・・彼を追い出して浮浪児にした。自分の物語をしながら、おわり近くで彼は泣きだした。もしあれがウソなら、最高の演技だった。小っちゃなマンツー劇場。もしそれが物語なら、それでもすばらしい物語だった。

もちろん本の中でつかったさ。

世界は物語る人々でできてる。株式市場をみてみなよ。ファッションでもいい。どんな長編物語、小説も短い物語の組み合わせだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

さて次は「3」で最後だ。ずいぶん長い、分載?になっちまったけど、最終回も「みんな観てくれよな!」って台詞でバイバイキーン^(ノ◎皿◎)^ノ 

The Brief Wondrous Life of Oscar Wao(前編)

投稿者 サトウ   5/01/2010 3 コメント
 授業で読んでいる本がおもしろい。ドミニカ系アメリカ人のJunot Diaz という人の書いたThe Brief Wondrous Life of Oscar Waoという作品である。まだ半分しか読んでいないのだが、なんとなく感想を書いてしまうのである。
 主人公はタイトルにあるとおり、オスカーOscarという、ニュージャージーで暮らすドミニカ系の移民二世。デブでSFオタク、週末にはヤオハンで日本のオタクカルチャーにどっぷり浸かる。人生で最高にモテたのは7歳のころ、という、ちょっと哀れな男の子の生活が作品の主軸をなしているようなのだが…。
 これがなんだか変な作品なのである。まずは大量に混入されるスペイン語。わたしはスペイン語を習ったことがないので全然わからない。ただし、なんとなく「ここはののしり言葉かな」とか「これはおじさんとかおばさんとか、とにかく親戚を表す単語だろう」ぐらいの推測はつくので、内容を完全に見失ったりはしないところがすごい。
 また、この作品はいくつかの章にわかれているのだが、章によって話者が次々と変わり、人称も変わる。一章ではオスカーの悲惨な生活が三人称でおもしろおかしく(雰囲気は森見登美彦と似ているかもしれない)描かれるが、二章になると突然二人称の文がすこし挟まれ、直後にオスカーの姉ローラLolaの一人称の語りがおかれている。このローラの語りは母親とのかなりハードな確執が描かれていて、一章とはがらりと変わって切迫している。ちょっとThe Catcher in the Ryeのホールデンを思い出した。
 半分読んだ段階で、この本のもつ一番の特異性は、実は「語り手」の存在にあるのだ、と気づいた。それは三章に現れる。全体的には三人称の語りによって、オスカーの母ベリシアBeliciaのドミニカでの十代からアメリカに移住するまでの経緯が描かれるのだが、なぜかところどころに「わたし」が乱入してくるのである。三人称の語りを他の人称と比較した場合、どちらかといえば中立的で俯瞰的な視点を読者に提供するもの、すなわち読者に出来事を伝達する、透明度の高いメディアといえるだろう。しかしここでは、たとえばベリシアが十代の頃働いていたレストランの客と話している場面で、語り手は「いまでも私は車に乗っているとときどきその男を見かける」などと、あまり関係のないような自分の体験をつい言ってしまう。それから、やたらに注が多い、というのもこの本の特徴なのだが、ここでも謎の「わたし」が自分の体験や感想、詳細なドミニカの歴史、そしてなぜか創作過程(「じつはここに出てきた○○という地名は草稿の段階では××にする予定だった」など)を明らかにしてしまったりする。こうした三人称の語りのなかでは違和感を与えるような一人称の発話が挿入されることによって、しだいに語りが抽象的な「視点」としてよりは、生身の身体をもった誰かの「声」として存在しているように思えてくるのだ。

 語り手はいったい誰なのだろう、と思いながら読み進める。そうでなくても、どんどん先へ進みたくなる小説である。ついでにいうと、スペイン語だけでなく日本語もときどき出てくるのだ。アメリカの小説にkatana、kaijuなど、日本語がたくさん出てくるのはなんだか不思議だ。otakunessという言葉が出てきたときは笑ってしまった。

 全部読んだら改めて書こうと思う。

2010/04/25

「報われない想い」by 愛子

投稿者 せんちゃん   4/25/2010 0 コメント
人は何の為に生まれてきたのか。

これは人間にとって永遠のテーマであり、統一された明快な答えは無い。

個々が人生を歩んでいく過程で見つけていくものだからだ。

感情の多様な色を知りながら答えを探していく。

その過程で人の優しさに触れ、その存在を肯定したくて、まっすぐでひたむきな感情を向ける姿は純粋で美しい。

けれど本来、人は孤独な生き物だ。

生まれてくるとき、死んでいくとき、いつ何時もその行動を自身のものとして感じられる人は本人しか居ない。

どんなに感情移入したとしても完全理解は存在しない。

それを知りながらも自分の想いを相手に理解して欲しいと願う。

認めて欲しくて精一杯伝えようとする。

誰でも無意識に行っていることだ。

私が人身事故などのニュースを見て「切ない」という感情を抱く理由はそこにある。

ニュースを耳にした私は、まず自分の大切な人たちのことが脳裏に浮かぶ。

そして、普段の楽しい会話、笑顔、温もりが生々しく思い起こされ、その人たちの計り知れない闇を少しでも取り除けているのか不安になる。

人の為に出来る事の幅の狭さのようなものを感じてしまう。

おそらくみんな分かっていることだ。

全ての人が自分を理解してくれる訳ではないし、好意を抱かれる訳でもない。

少数でも自分の居場所を創ってくれる人が居ればいい。

それすら居ないと感じた場合、人に向けられていたエネルギーがマイナスに作用する。


その報われない想いが存在することが切ないと感じるのだろう。

人にはそれぞれ個性がある。

自分にはないものを持っている人に魅かれ、あらゆる化学変化が起こる。

世界はその化学変化によって構築され、新しい時代が始まるきっかけにもなる。

けれどその個性が時には仇となり、外に追いやられる人が居るのも事実だ。

その悲しき矛盾の下で、人は多種多様な生き様を晒していく。

すべての人の傍に暖かく見守ってくれる存在が一人でも居ることを儚くも願う。

ヘンタクロース

投稿者 Chijun   4/25/2010 0 コメント
「クリスマスというものを馬鹿にしてはいけません。これは、子供たちが何歳でサンタクロースの存在を否定するに至るかを棒グラフにしてまとめたものです。確かに近頃の子供たちは幼くしてサンタクロースの存在を否定する傾向にありますが、だからこそ逆に、今我々の信念と努力が試される時なのです。自らの聖なる職務に自覚と責任を持ち、皆さんの役目を全うしてください」

そういって教師が教室を去ると、3–B組は一気に乱れました。女子生徒たちは男子生徒たちの見ている前でサンタクロース・コスチュームを器用に脱ぎだし、下着を見せる一暇も与えぬ間にハラジュクで買った他校の(あるいは実在などせぬ学校の)カワイイ制服に着替えています。
「カラオケ行こカラオケ」
「今日は私がM歌うんだからね。絶対先に歌っちゃだめだよ」
「それよりさーケーキ食べたくね?」
「え、カラオケ? 俺らも一緒に行くー」
「えマジ? ちょマジ? おれ『いつかのメリークリスマス』歌いてえ」
「ったく、縁起でもねえなあ。テンション下がるからやめてくれよ」
「だいじょぶだって。あれはサンタさんじゃなくて旦那が嫁にプレゼント買ってそれで二人幸せよ、って歌なんだから。俺たちより旦那のがいい!って思ってもらえりゃ、そっちの方が好都合じゃね?」
「おいヘンタ、たまにはお前も来いよ」
「やめとけって。よりにもよって24日に、そいつがついて来るわけねえだろうよ」

そういって男子生徒が見下ろした先に、背を小さく丸めて机にしがみついたままの男が居ました。皆にヘンタクロース、ヘンタクロースと蔑まれるこの男はしかし、サンタクロース育成学校たるこの学び舎で、その精神を最も尊敬されてしかるべき男のはずだったのです。というのも彼は、生徒だけではない、教師も含めて誰一人己が職務の聖性など信じるもののなくなったこの学校で、ただ一人世界中の子供たちのサンタクロースを求める清心を信じ続けているものなのです。

教室が静まって数刻の後だれもいなくなったのを脇目に確認してからようやく、男はゆっくりと動き出しました。誰も気づいてくれるものはありませんでしたが、昨晩自らアイロンをかけてきたサンタクロース・コスチュームを型通り身にまとった男は、教室の後ろの方にあるロッカーからプレゼントの詰まった白袋を取り出し、いざ教室を出ようとしたところでつまずいてこけてしまいました。しかし学校には、彼の不様を嘲笑するものすら残っては居ませんでした。

何度も落第してようやく手に入れた運転免許が制服の内ポケットに入っているのを確認すると、ヘンタは「レッド・ノーズ」と名付けられたトナカイの鹿房にやって来て、自分の足ほどの太さのある縄でトナカイと橇とをきつくしばりました。
「やあ、レッド・ノーズ。調子はどうだい? ただの練習じゃない、今日は本番なんだ。きっとうまくやってくれよ」
「・・・・・・」
「君は落ちこぼれなんかじゃないぞレッド・ノーズ。そのぴかぴかの鼻は暗い夜道でよく光るからな」
そのときトナカイが厳しい視線を投げて来た気がして、ヘンタは慌てて橇に飛び乗り、勢いよく鞭を降って叫びました。
「ハイドー!」

広い宙にひとりぼっちになるとヘンタはがぜん元気が出てきました。勢いよくトナカイに鞭をふるってはハイドーハイドーと高く声を上げます。しかし怠惰な友人たちに仕事を押し付けられているヘンタには、夢中に気持ちよくなっている暇などありません。どんどん白袋のプレゼントを配って回らなければならないのです。ヘンタは灯りを頼りに狙いの家を定めるとトナカイを急降下させ、よしいくぞ、と思ったところで急ブレーキをかけました。というのもその家は鉄筋コンクリートでぐるりと囲まれた丈夫な家で、ヘンタの入る隙などなかったのです。しかも窓から覗いてみたところ子供たちは既に親からプレゼントを手渡されていて、満面の笑みを浮かべているではありませんか。一家の幸福の邪魔をしてはいけない、そう思ったヘンタは、手早く次の家を探すことにしました。
二番目の家は一軒家でしたが頼みの煙突もなく、さてどこから入ったものだろうかとヘンタは家のぐるりを物色しだしました。最近ではサンタクロースを泥棒と間違えてしまうおっちょこちょいな警察も少なくありません。ようじんようじん、そうつぶやきながら家を回っていたヘンタの目に入って来たのは、お財布から一万円を抜き取って子供に差し出すお母さんの笑顔でした。それを受け取る子供もまた、顔には満面の笑みを浮かべていたのでした。

「こんなことじゃだめだこんなことじゃだめだこんな・・・・・・」
そうつぶやくうちに、トナカイを走らすヘンタの目からは知らず涙があふれ出ていました。町の人たちにまぎれて今ごろはカラオケ・ボックスで陽気に歌い踊っているであろう友人たちが言っていたように、やはり、もうサンタクロースを待っている子供など居ないのでしょうか。しょせんヘンタはただの変わり者で、彼の信念など独りよがりにすぎないのでしょうか。もう誰もサンタクロースを・・・・・・
「ヘンタ、早く指示をくれ。さっさと次の家に行こうじゃないか」
レッド・ノーズが声をかけてくれるなど滅多にないことなので、ヘンタは一瞬どこから声が出ているのかとびっくりしてしまいましたが、しゃべっているのはやはりレッド・ノーズです。
「別にお前のことが好きなわけじゃないが、お前のやっていることは間違っていないと思う」
レッド・ノーズはまっすぐ前を向いたままそういうと、いつでも出発できるぞと言わんばかりに、夜目に美しく赤々と輝くハナから熱い息を吹き出します。
「そうだ、ぼくはまちがってない」
ヘンタはもう一度自分の神聖な職務を心静かに確かめたように強いまなざしを取り戻して、レッド・ノーズの尻を叩きました。

三番目の家に近づくにつれ、屋根からにょっきりと空に向かって突き出している物体が、ヘンタの目に入りました。
「あれは!」
ヘンタは興奮を抑えきれません、そう、それは今はあまり目にすることも出来ない、昔ながらの煙突ではありませんか。ヘンタは煙突のぎりぎり真上までトナカイを走らせると、見事な垂直を描いて落ちるように煙突の中へ突っ込んでいきました。ところがその煙突の長いこと長いこと。真っ暗な一本道をどれだけ進んでも、いっこうに煙突を抜けられそうな気配がありません。暗い、冷たい、じめじめした煙突の中でヘンタは恐怖に駆られて何度も引き返したいと思いましたが、折り返せるだけの道幅の余裕もなければ、トナカイにも全くその気はないようで、今は乗り手の気持ちなど全く無視してずんずん下っていく勢いです。

ようやくトンネルを抜けるとそこは雪一面の野原で、少し離れたところにぽつぽつと建つ家には驚くことに、すべて煙突がひょっこりとついているではありませんか。まるでおとぎ話に出てきそうな幻想風景に見とれているうちにヘンタは橇を止めることもすっかり忘れて、そのまま雪の中に墜落してっ込んでしまいました。それからどれほど時が経ったでしょうか、ヘンタがようやく顔を上げるとびっくり、周りを大勢の人たちが取り囲んでいます。橇を失ったヘンタはすっかりいつもの臆病風に吹かれて、背を丸めて雪に顔を埋めてしまいました。

「イヨッホーイヨッホー」
男の声が高く上がると、それに続いて
「ソーレイヨッホーイヨッホー」「ソーレイヨッホーイヨッホー」「ソーレイヨッホーイヨッホー」
と人々が大合唱のように大きく声を揃えて歌い出しました。ヘンタはいよいよおびえて雪に穴を掘らんばかりの思いでしたが、よくよく聞いてみると人々の声はとても陽気で、どうやらヘンタを歓迎している。それどころか待ちに待っていたといわんばかりのようにも聞こえます。ヘンタにはわからない言葉でしゃべっていたものの、どうやらそうにちがいない、とヘンタには信じられたのでした。幼い頃から蔑まれ続けて来たヘンタなのに、大勢の人々が彼の到来を祝福しているのです。このままではいけないと思ってヘンタも勇気を出して顔を上げ、にっこり笑おうと努力してみたのですが、つり上がった唇の先はプルプル震えてしまうし、目元には変な力が入ってしまうしで、どうにも奇妙な笑顔が出来上がってしまいました。
そこへたくさんの村人の中から豊かなひげを蓄えた男が近づいてきて、突然ヘンタの前にひれ伏して顔をどすんと雪の中に突っ込み、ヘンタの前に両手を差し出します。何のことやら分からずにヘンタの引きつった顔はさらに引きつり、すっかりかたまってしまいましたが、慌てて気づいたかのように
「メリークリトリス!」
と声を限りに叫ぶと、雪に突っ込んだ時も必死につかんで離さなかった袋の中から、プレゼントを取り出そうとしました。ところが、袋の中はまるで空っぽで、ヘンタがグルグル手を引っ掻き回しても、何も出てきやしません。ヘンタの顔はいよいよおかしく引きつって、ついには笑い顔だか泣き顔だか分からないほどになってしまいました。村人たちの中数人首を傾げ出すものが居て、近くの人と何やらこそこそ話をはじめだすものも出てきました。そして次の瞬間には最初男がやったのと同じように、諸人こぞって顔をどすんと雪に突っ込み、ヘンタに向かって手を差し出してきました。
「クリ、クリ、クリクリ、ギャーーー!!」
と叫ぶとヘンタはとうとうその場に倒れ込み、目をクルクル回して気を失ってしまいました。

———

どうもヘンタが学校に出てこない、登校拒否? しかしあのヘンタが? 不器用でも熱心に人一倍の努力だけは惜しまなかったあのヘンタが? やっぱりあのとき無理してでもカラオケにつれてった方がよかったかな?
そんな噂が生徒たちのなかでもてはやされたのもつかの間のこと、いつも通りの自堕落な時間がサンタクロース育成学校にすぐに流れ出しました。ヘンタのことを思い出すものなど、もう誰一人ありません。






2010/04/18

人身事故 by愛子(ゲストライター)

投稿者 せんちゃん   4/18/2010 0 コメント
自殺による人身事故のニュース。

これに対しての世間の表面的な反応は常に否定的なおかつ攻撃的だ。

「人に迷惑をかけるな」、「死にたいのなら一人で死んでくれ」。

自分と関わっている人ならば感情移入もしやすいが、大半が全く関係の無い人によって引き起こされるのだからそれもそうだ。

一切面識が無い他人に、どうして自分の人生の貴重な時間の一部を乱されなければならないのか、そう思うのも無理は無い。

けれど、私は最近この類のニュースを見る度、人間の儚さをみてしまう。

その儚さというのは人の命が消え行く様ではなくて、死の手段として「多くの人を巻き込む」という選択をしたところにある。

それこそ、命を絶つ方法はごまんとある訳で、なぜ最期に知りもしない他人とかかわりを持ちたいと望んだのか。

電車への飛び込みだけではない。

かつて世間を賑わした秋葉原の事件の犯人も多くの「関係ない人」を道連れにしようとしていた。

どんな形でもいいから人と関わりたくて、相手にされたくて、そんな想いが届かずに負の方向へ倒れ込んでしまうのか。

様々な事件をニュースで知ると、いつもその人たちの切なる想いが私の中をよぎる。

人との関わりを絶たれてしまった誰かが誰かに一方的な感情を寄せる。

独りが嫌で、どんな状況でも誰かとの居場所を求めて人の想いは彷徨い、渦巻いている光景がどうしても頭に浮かんでしまう。

尽きない感情の矛先は誰に向けられるか分からない。

2010/04/15

親しい間柄での丁寧語使用について

投稿者 じん   4/15/2010 0 コメント
 友人同士であるH、D、K、S、計4名の会話について、言語の対人関係の確立や維持・調節にかかわる働き(ポライトネス)の観点からの会話分析を試みる。全員23歳で、全員男性である。4人はコーラスグループとして活動しており、これから分析するのは、練習中、ある曲を歌い終わった直後に反省を行い、その後雑談に移行する場面である。Hはグループのリーダーである。

 各行左の番号はデータのライン番号を示す。その右の大文字アルファベットは発話者のIDである。(0)は前の発話との間にポーズがないことを示す。[ ]は[ ]とのオーバーラップを示す。[1 1]のように番号が示されたものは、同じ番号で示された部分とのオーバーラップを示す。(( ))は注記を示す。..はポーズを示す。直後に( )で示される場合があるが、これはポーズの秒数である。&は発話が途中で妨害され、次の&で再開したことを示す。

01 H: えーと、歌詞だね。
02 D: はい、そうです、完全に。
03 S: (0)そうですね。
04 D: (0)うん。
05 H: 音はこれ以上はすぐには多分 [1 よく、 1]
06 D: [1 まー 1]良くならない--
07 H: [2 良くならないと思うよね。 2]
08 S: [2 "Don't know what a slide rule2] is for"[3 を忘れてました。 3]
09 D: [3 まー、若干 3]俺、自分で問題ある所は[4 押してったよ。 4]
10 H: [4 俺も 4]"slide rule is for"を忘れた。
11 S: ま、あと今日はちょっと最高音がでないんで。
12 H: ま、それは。
13 D: ま、K((愛称使用))、あのー、..「チョキン」で。
14 K: そだね、切るんだよ[ね?]
15 H: [うん。]
16 D: そうなんだよね。
17 H: ((歌う))"slide rule is for"
18 D: ..歌詞が出ないしー。
19 D: [下っていた部分は大体分かっている。]
20 K: [なんか、う、歌いづらいな。]
21 S: 歌いづらいよね、ちょっとー。
22 K: ...(9)ねー、ここさ、ハ、 大悟、ね、ハミングの方が良いの?
23 D: いや、「ウー」でいい[7 よ 7]。
24 K: [7 うー 7]って、い&
25 H: うん、[8 言っていい。 8]
26 K: &[8 言っていいの? 8]

 オーバーラップが非常に多く、おおむね非敬語での会話である。前の発話との間にポーズがない発話や、複数人で1文を構築する共同発話も見られ、協調的で共感の強い、親密な会話とみてよいだろう。オーバーラップ、非敬語、ポーズのない発話、共同発話は共感的配慮から相手との近接化を図るポジティブ・ポライトネスの表現である。Line 05-06、Line 24-25で見られる共同発話は、受け継ぐ側の発話がどちらもオーバーラップで始まっていて、強くポジティブ・ポライトネスが表現されている。

 その一方で、敬避的配慮から相手との遠隔化を図るネガティブ・ポライトネスの表現も見られる。Line 05では「良くならない」ことを指摘することに相手の「他者と一定の距離を保ちたい」という欲求を侵害するリスクを感じたために、曖昧な表現になったものと思われる。係助詞「は」が繰り返し使用されることで文の主題が曖昧になり、さらに「すぐには多分」という表現で言語的な距離も長くなっている。また、核となるべき「良くならない」は、Hの発話では言いさし表現となり、これは敬避的配慮をさらに進めた言及回避、ほのめかしのストラテジーである。

 冒頭部で丁寧語が見られるのが興味深い。丁寧語は聞き手をソト待遇するネガティブ・ポライトネスの表現であるとされる。これは話者の関係や、全体の発話の親密さにそぐわない表現である。丁寧語は、会話の後半、雑談に移ってからも見られる。

 @は笑い声を示す。発話が@で挟まれた場合は、笑いながらの発話である。

27 H: あのねー、Naturally 7((バンド名))に[9 はまっちゃいました、この人((Sを示す))。 9]
28 S: [9 @@@@@ 9]
29 K: ((楽譜を見ながらの独り言))[10 そか 10]
30 D: [10 @ はまったんかい。@10]
31 H: はまっちゃいました。
32 D: DVDありますよー。
33 S: あれ((DVDではなく、バンド自体を示す))やばいよ[11 ね 11]
34 H: [11 買いましたか。 11]
35 S: ライブ聴きたい、[12 ライブ。 12]
36 D: ((Line 34への反応))[12 え? 12]
37 H: DVD。
38 D: (0)俺、だってライブのときに買ったもん。
39 H: あ、そかそか[そか。]
40 D: [うん。]
41 S: 貸して? @@@
42 D: いいっすよ。
43 H: やっぱ”Feel It In The Air”((曲名))はやばいよね。[@@]
44 S: [あれ]やばいね。あれも、できたらやりたい。 @@@
45 H: @@ ま、あれは割とアカペラっぽいからね。
46 S: うん。((歌う))”I can feel it comin’ in the air tonight, oh no And Ive been waiting for this moment for all my life, oh Lord, oh no.”
47 H: うす、..行きますか、..もう一発。
48 K: ..もう1回行くー?
49 S: (0)OKー。
50 H: (0)もう一回だけ行っとこうか。
51 S: (0)あいあい。
52 H: (0)歌詞ね。
53 S: ..もう[多分]&
54 H: [歌詞。]
55 S: &大丈夫。
56 H: OK、行こうか。[13 “slide rule is for”。 13]
57 D: [13 ま、正直 13]&
58 K: これあるよー、[14 歌詞ー。 14]
59 D: [14 あの 14]一回目は[15 分かるん 15]だけどー、
60 K: [15 @ 15]みんな、はい。
61 D: うーん、けど[2巡目に入ると、「うーん、わからない」って]なるよね。
62 H: ((歌う))[“slide rule is for”]
63 K: ((歌詞の文字が小さいのを見て)) @この、@[@ 豆粒のような。@]
64 S: [2番目一回しか歌わないしね。]
65 H: @そうそうそう。@

 丁寧語及び丁寧な表現が現れているのは、Line 02、03、08、11の練習の反省部分、Line 27、31、32、34、42の雑談部分、そしてLine 47の練習再開を促す部分である。話者別にみると、Hが4回、D、Sが3回、Kが0回で、H、D、SとKの間には明らかな差ができた。発言権をとった回数はHが22回、Dが18回、Sが15回、Kが10回で、発言回数の差以上に、丁寧語の使用の差は大きいようだ。このデータを見る限りでは、Kは、親しい関係にある者同士の会話において丁寧語を使用するというストラテジーを持っていない。Kの発話は全て練習に絡むものであり、Line 27-46の雑談には参加していない。会話を雑談と練習に分ければ、丁寧語は練習に絡む内容の発話に6:4で若干多く現われている。

 以下に丁寧語が現れた個所を抜き出す。

(1)     01 H: えーと、歌詞だね。
       02 D: はい、そうです、完全に。
       03 S: (0)そうですね。
(2)     08 S: [2 "Don't know what a slide rule2] is for"[3 を忘れてました。 3]
(3)     11 S: ま、あと今日はちょっと最高音がでないんで。
(4)     27 H: あのねー、Naturally 7((バンド名))に[9 はまっちゃいました、この人((Sを示す))。 9]
       28 S: [9 @@@@@ 9]
       30 D: [10 @ はまったんかい。@10]
       31 H: はまっちゃいました。
       32 D: DVDありますよー。
(5)     47 H: うす、..行きますか、..もう一発。

 練習に絡む内容に若干多く丁寧語が用いられている。雑談と比べれば、相手との関係に距離をとるのも理解できるが、使用頻度に大きな差はないため、他にも距離をとる理由があると考えるべきだろう。

 丁寧語の聞き手ソト待遇機能を考慮して、ウチ/ソトを分ける基準を考えてみる。(1)、(2)、(3)の練習の反省の場面では、ミスを認めた者が丁寧語を使用している。ミスを指摘した側と指摘された側、あるいはミスを認めた側と認めていない側という区別を反映していると見ることもできるだろう。(5)も練習に絡むものであるが、こちらは意識が練習に向かっているものと向かっていないものという区別といえる。(4)では、あるバンドに”はまった”者と、もとから好きだった者という区別を考えると、ウチ/ソトの区別が説明できる。丁寧語を使用しているのはもとから好きだった者である。丁寧語の使用により、新たに”はまった”ものをソト扱いし、揶揄するような印象を受ける。雑談に参加していないKは考えないこととする。

 相手をソト待遇する側は、ウチ/ソト関係からみると、ウチ側となる。丁寧語が内輪であることを示す標識としても機能しているということになり、このデータでみられる親しい間柄での丁寧語使用は、ポジティブ・ポライトネスの表現であるということができる。

 丁寧語の使用をKはこの丁寧語使用というストラテジーを使用していない。このデータを見る限りでは、このストラテジーをもっていないように見える。

 もう1点、遠隔化の理由として、社会言語学的観点から、中村(2007)の、新しい「男ことば」を挙げることができる。「上下関係にもとづいた『おれとおまえ』の密着した親しさは、かっこ悪」いため(中村 2007, p.68)、「若者のような上下関係が少ない横並びの集団の中では、互いの『親しさ』を調整する言語資源が必要」となり、〈距離〉の表現である敬語が使用されたと考えられる。なお、中村(2007)では〈距離〉の表現としての敬語は敬語の用法の変化であるとされているが、滝浦(2008)からすればこれは当てはまらない。

 中村(2007)の観点では、参加者が全員男性であることを重く見て、セクシャリティとジェンダーに絡めた議論を展開するところであるが、ここでは深く立ち入らない。簡単に触れておけば、「男らしさ」にとって異性愛であることは重要な要素であり、同性愛は嫌悪される。そのためあらゆる手段で同性愛者とみなされることを避けなければいけない。〈距離〉の表現である敬語はこのための手段となりうる。

参考文献

中村桃子. 2007. 『〈性〉と日本語 ことばがつくる女と男』 日本放送出版協会
滝浦真人. 2008. 『ポライトネス入門』 研究者

2010/04/12

チャック・パラニク(チャック・パラニューク)

投稿者 福田快活   4/12/2010 0 コメント
チャック・パラニク(チャック・パラニューク)というアメリカの作家しってる?って聞いても「はあ?」がふつうの返事。一般的知名度なんかないに等しいんだから「はあ?」は不思ギでもなんでもない。でもこう言えばわかってくれる人はけっこう多い↓

「『ファイト・クラブ』って映画あったじゃん?99年くらい。ブラピとエドワード・ノートン主演でほら喧嘩って楽しい!ってやってるやつ」
「ああ、あれ!あったあった」
「その原作者」
「ああ、そうなんだ。へーー」

「わかってくれる」って言っても返事は「へーー」で、それはそれでしょうがないんだけど(だってそれ以上何を求めようか?)、この人はとってもいい作家なんだ。へたな万言を尽くすより、、、で彼のインタビューとか取材物をあつめた『non ficition』ってステキな本がある。巻頭の言、みたいなやつが作家パラニクのスタンスを明快簡潔に表してるんで、ちょっと翻訳してみるから読んでみて。「ちょっと待ってよ。その前にパラニクとかパラニュークとか併記されてるのはなんで?」ってツッコミもあるよね。「併記」とかむずかしい言葉つかうね?とおれも自分ツッコミ入れたくなるけど、日本での慣用はパラニュークなんだ。でもこれはただの英語音で本人は明確に「pɑːlənɪk」って発音してるんだから片仮名にするならやっぱ「パラニク」でしょ?パラパラなお肉みたいでパラニクの姿勢にぴったしだし。。。

では本編のはじまりはじまりー

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もしまだ気づいてないなら、ぼくの本はぜんぶ「寂しい人が他の人とつながる方法を探してる」についての本だ。

ある意味それはアメリカンドリームの逆:すっごい金持ちになって脱けだすんだパンピーから、高速にいるあんだけの人、もっとひどいかも、そう通勤電車。 ヤ、ドリームはおっきな家だ、どっか独り離れて。ペントハウス、ハワード・ヒューズみたいに 。山頂の城、ウィリアム・ランドルフ・ハーストみたいに。ステキな隔離されたねぐら、きみが気に入ったパンピーだけ招待すりゃいい。きみがコントロールできる環境、争いと痛みから自由――そこできみは「支配する」。

それがモンタナの牧場だろうが、10000枚のDVDと高速インターネットつきの地下室だろうが、これだけは期待できる。そこにたどりついたら、独りだ。寂しい。

もう十分に惨めになって-ファイト・クラブマンションの語り手みたいに、本人の美しい顔に疎外された『インビジブル・モンスターズ』の語り手みたいに-初めてぼくたちはステキなねぐらを破壊し、自分自身をより大きい世界に強制送還する。いろんな意味でこれは、小説を書く方法でもある。考えて調べて。独りで過ごして、きみがすべてをコントロール、コントロール、そう、コントロール!するステキな世界をつくる。電話は鳴りっぱなし。メールは積み上がってく。自分のモノガタリ世界のなかで過ごすんだ、破壊するときまで。そうして他の人と過ごすためにもどってくる。

もしきみのモノガタリ世界がじゅうぶん売れたら、ブックツアーにいける。インタビューされる。ほんとうに人といっしょにいれる。たくさんの人。人、人、ヒトに病んなるまで。脱走する夢に餓えて、逃げたくなる・・・

また違うステキなモノガタリ世界へ。

で、またはじまる。独り。いっしょ。独り。いっしょ。

たぶん、これを読んでるならこの円環がわかるはず。本を読むのは集団活動じゃない。映画とかライブにいくのとは違う。スペクトルの孤独の端なんだ。

この本の中のモノガタリすべては「他の人といっしょにいる」についてだ。ぼくが他の人といっしょにいる。あるいはひとびとがいっしょにいる。

(中略)

これぜんぶノンフィクションのハナシ・エッセイで、小説のあい間に書いたんだ。ぼく自身の円環はこうだ:事実。フィクション。事実。フィクション。

書くことでヒクことのひとつは「独りだ」だ。まさに「書く」部分。孤独な屋根裏のとこ。大方の想像ぢゃ、そこが作家とジャーナリストの違い。ジャーナリスト・新聞記者はいつも急いでて、目を皿にして、人と会って、事実を掘りおこしてる。モノガタリを料理してる。ジャーナリストは人に囲まれて書いてて、いつも〆 切だ。混んでて急かされて。刺激的かつ楽しい。

ジャーナリストは書いて、きみを大きな世界につなげる。パイプだ。

でも作家、作家は違う。フィクションを書く人は誰でも-人は想像する-孤独だと。フィクションはきみをいま1人の人間の声にしかつなげない、そう思えるからかもしれない。読書はひとりですることだから、かもしれない。それは「過去」で、ぼくたちを他の人から隔てるように思われる。

ジャーナリストはモノガタリを取材する。作家はモノガタリを想像する。

笑えるのは、小説家がこの単一の孤独な声をつくるためにどれだけ多くの時間を他の人と過ごさないといけないか、知ったら驚くから。この隔離されてるかのような世界。

ぼくのどの小説も“フィクション”とは呼びにくい。

ぼくが書くほとんどの理由は、「書くこと」がぼくとほかの人を週に一回いっしょにしてくれたから。木曜の晩に、出版された作家-トム・スパンバウアー-に教えられるワークショップで、彼の台所机を囲んで。当時ぼくの交遊は手近さにもとづいてて:隣人か同僚か。その人たちを知ってるのはただマア、毎日隣に座るハメになってるからで。

ぼくの知ってるいちばんオモチロイ人、イナ・ゲバルトは同僚を“空気家族”って呼んでる。

手近の友達の問題は、引っ越しちゃうこと。辞めるか馘になること。

書くワークショップってのに出会うまでは、情熱をわかつ友なんて知らなかった。書くこと。映画。音楽。理想を分けあった人もいた。パーティー(みんな)で出かける冒険、それがあれば、きみが大切にする曖昧で漠然とした芸を大切にする人と一緒にいられるんだ。こおゆう友情は仕事とか立ち退きに左右されない。 書いても一円にもならない時代に毎木曜のくっちゃべりは――ぼくが書き続ける唯一の動機だった。トム、スージー、モニカ、スティーブン、ビル、コリー、 リック。ぼくたちは闘い、讃え合った。それで十分だった。

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実際はもっと長いんで、あんま一度につめこむのもナンだから、つ・づ・く
 

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