あ、1本いいっすか?

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2011/11/06

電車に乗って行こう。

投稿者 じん   11/06/2011 2 コメント
このまま、僕は鉄道マニアになるかもしれない。鈍行の窓の外に見える景色が、のんびりと過ぎていく。たいていは緑色だけど。日本のほとんどは田舎だから。10分か、15分かに一回、そろそろと人が降りていくのもいい。そんな風景を、耳にイヤホンを突っ込んで、適当に音楽を流しながら眺める。それを想像しながら、一生懸命安いルートを探したりするのも、また楽しい。

しばらく遠ざかっていた、読書という、なんとなく繊細そうな、中性的な趣味も、鈍行の旅をするようになってから、復活した。文庫本の小ささが、可愛かった。勉強のためにとめくっていた、洋書のペイパーバックのそっけなさとはちがう、軽さがある。てぃーにーてぃーにーまいりるぶっくちゃんだ。

25にもなって自動車免許を持ってない僕はかなりの少数派で、東京から名古屋に引っ越したときにはすぐに自動車学校にいかなきゃ!と友達にはなしてたりしていたけど、どうなることやら。まだ、近いうちにとるつもりだよ、来月は落ちつきそうだし、なんて思っている辺り、あやしいな。

ともかく、どんこうに数時間ゆられていくのは、バス旅より楽チンだし、もちろん自分は運転する必要もないし、うん、いいなぁ。今日は名古屋から大阪まで、4時間半、3000円弱。安いよ!安いよ!さあ、ひとつどうだい?

2011/10/10

iPhone 4Sは軽くならなかった。

投稿者 Chijun   10/10/2011 0 コメント
モバイル用デバイスは、もちろん軽くあって欲しいですよね。「重くて嬉しい」という場面や人は……なかなか思いつきません。いずれ「軽すぎて困る」というときが来るかもしれませんが、今のところそういった意見は見かけたことがないです。モノとしての道具の洗練というのはバランスが難しく、あまり小さくしすぎると「薄すぎ」という人が現れたり(iPod touchなど)、キーボードをタッチパネルにしてみると「長文はやっぱパソコンでないとね」(iPhoneやiPadなど)という風に打鍵感を必要とする人も少なからずいるようです。つまり、モノとしてのある種の物理的抵抗感、存在感が必要な場合もあるということですね。

iPhone 4Sは140gで、これはiPhone 4とほとんど変わりません。今回のiPhoneのニューモデル、処理速度が速くなったのは悪いわけがないのですが、iPhoneの利用シーンを考えると、私はまだもうちょっと軽くなって欲しいデバイスだと思うのです。

iPhoneの新型発表がiPhone 5……でなく、マイナーチェンジに終わってしまったのを残念がる人も多いようですが、そもそも最近のAppleの製品は、分かりやすくカタチを変える大きなフルモデルチェンジというのが少ないです。最初の段階で限界近くまで洗練させてから出す、という姿勢の現れなのでしょうか。今日は特に重さに注目して、変化を追ってみます。

13インチのノートパソコンMacBookは、2006年に2.36kgのモデルとして発表されます。2008年まではマイナーチェンジが続き、2.27kgとさほど大きな変化はありません。2008年にはMacBook Proと呼ばれるシリーズに13インチモデルが誕生し、全体的に高機能化しつつ2.04kgと減量してきます。それ以降13インチのMacBook Proは現在までに三度のマイナーチェンジを経ますが、2.04kgのままです。

2008年には同じく13インチのモデルでMacBook Airも登場し、同等のサイズとしては1.36kgと大幅な軽量化をしますが、これは軽さの代償にいくつかの機能を犠牲にしているので、MacBook Proとは用途も違ってきます。単純な比較はできません。しかしこのMacBook Airのシリーズも、四度のモデルチェンジ後の現在1.34kgとほぼ変わりません。途中11インチモデルが登場しますが、こちらも、1.04kg→1.08kgですから、変化なしといっていいでしょう。

対照的にかなり早い段階で軽量化を果たしたといえるのがiPadで、Wi-Fiモデルは初登場時680g、一年後のiPad 2は600gとなっています。MacBookとは単位が違うので減量数値だけ冷静に考えると大したことなく思えてしまいますが、このサイズで80g減ると、割合的にも、両モデルを使用した実感としても、「これはずいぶん軽くなった」と思った人が少なくないようです。iPadの利用場面を考えれば、初代の680gというのが重すぎるというのはAppleも承知の上だったのでしょう。600gでもまだ軽いとはいえませんが、初代に比べると2はだいぶ取り回しも良くなりましたし、実際に利用時間も大きく増えました。

さて、iPhoneです。iPhoneは2007年に登場して以来これまでに三度のモデルチェンジをして、140g→130g→140g→140gと、結局変わらずです。AppleはiPadほどには、iPhoneに軽量化が必要ないと判断しているのでしょうか? それとも色々な機能・要素を総合的に判断した上で、現在の技術の限界のところで「うまく」バランスをとっていると評価できるデバイスなのでしょうか?

ちなみに同等サイズのiPod touchは、最新モデルで現在101gです。MacBook Proに対するMacBook Airのように、機能の制限はありますが、iPhoneと利用場面が重なる機会は少なくありません。また、iPhoneとは約40gの違いですが、手のひらに収まる小さなサイズとしては、はっきり重さの違いを感じる人が多いと思います。となると、iPhone軽くなって欲しいなあ……と欲が出ますねえ。

2011/09/04

らくーにいきるには。

投稿者 じん   9/04/2011 0 コメント
職場の先輩が、寝違えに苦しむ僕に、ヨガの極意とやらを教えてくれた。

首を倒して5呼吸。体をよく観察する。
首を戻して同じ時間。脳に痛みを理解させる。
そうすれば自然に治癒力が働く。

聞いた時は本当に痛かったので単に痛みを和らげる方法としてありがたく聴いていたのだけど、帰宅後、この言葉を思い出しながらいつものストレッチ。これまでストレッチは筋肉を伸ばして痛みを和らげるための治療法だと思っていた。それが痛みを理解し、自然治癒力のトリガーを引くためのものだという。大きな発想の転換だ。それだけでも目から鱗だったが、そのうちふと、これが体の痛みだけでなく、あらゆる事柄にあてはまるのではないかという気がしてきた。

痛みをよく観察し、同じ時間かけて理解すれば、自然治癒力が働く。

ヨガはインドのなんとかいう哲学の実践の最初の一歩だとどこかで聞いた。無我の境地に至るための精神統一手段のような位置づけだったはず。

さすが釈迦を生んだ国。痛みや苦しみを受け入れることが、楽に生きるための第一歩というわけだ。

2011/08/25

働こうぜ、諸君!!

投稿者 福田快活   8/25/2011 0 コメント
最近の関心は、労働です。

資本主義の三大要件は資本、労働、土地?だったかな設備?だったと思うがそのなかで労働がどう編成されてきたのかこれからどう編成されるのか。

たとえば自由と民主のためにたちあがったとされるフランス革命だが、革命によって身分を排することで従来の農民層を解体、新しい工場労働者層の確保に役立った面がある。アメリカの奴隷解放も、北部が流動的な下層労働者を必要としたからから達成できたという側面もある(新移民の方が安かったという話もある)。自由も民主もだれのためにあるんだ?自由とか民主を謳うことで、主体的な市民を育成し、おかげで徴税・徴兵が国家にとって楽になった(市民はその内面に国家を抱えるから)のもそうだ。

近代の達成と、それによって不可視になる制度=システム。制度が複雑精緻になるなかで人はどう生きるのか。生きないのか。ここで労働が登場する。

税や兵を徴用する必要があるように、制度は生産力を人間から徴用しないといけない。そのためには時間の発明(時間給ていう概念がうまれる)だとか学校での規律の調教がある。いい加減な能天気な人間ぢゃなくて、時間に正確で決められたことをちゃんとする労働者を生産する。その労働者が商品を正確に生産する。

そういう意味では余暇=レジャーも近代の発明で、労働力の再生産+消費の促進のために欠かせない重要な務めである(みんな旅行しよー!)。

仕事とプライベートという表現がだいっきらいなのは(でも便利だからつかうが)、ここのレジャーの話に典型的なようにプライベートも資本の論理に駆動されている、という意味では仕事とまったく同じだから。プライベートを大切にする、ていうとあくせくとした労働に追われずに人間らしく生きる的なニュアンスがあるが、まったくの勘違い。派手に遊べば遊ぶほど資本とがっつりチューしてることになる。それはもちろん、プライベートの代表とされる恋愛or家庭でもかわらない。

恋愛がかかわってくるのは労働力の再生産の部分。ようは子供を産む、結婚だ。主婦の誕生。
とここまできてもう時間がないので、次回は恋愛と結婚の話から。とりあえずはバイバイキーン

2011/08/11

カンナとカカシ(15)

投稿者 Chijun   8/11/2011 0 コメント
ジェントルマンは一行の前に進み出ると、「みなさん、本日は勇敢なる男の子のためにお集まりいただきましてまことにありがとうございます! 幾多の苦難を乗り越え、彼はついにここにたどりつくことができました。わたしは(と、ここで一息ためて)きよらかなる愛というものに関心を持つ者です。彼をここまで導いたのは、彼が思いを寄せる美しい女の子の、かけがえのない願いから出た、たったひとことの言葉でした。彼は年齢以上にはにかみ屋の、自分からは何もできない男の子でした。しかしそれも昔のこと。女の子の願いが、彼をして大人への階段の第一歩を踏み出さしめたのであります! 彼をここまでーーというのは場所としてのここのみならず、彼の成長点としてのここという意味においてもですーーここまで導いたのは、小さな女の子の小さな願いでした。しかし我々大人が、それをちっぽけなこどもの戯れに過ぎないと片づけてしまってもよいものでしょうか? 断じて! 断じて! 我々大人こそ、小さな子どもたちの純粋な行為から、純粋な愛から、学ばねばならぬものは少なくな……」

と、そこまできたところでとつぜん、聖らかな鐘の音がいっぱいになりひびき、ジェントルマンは固まってしまった。まわりを見ると、ジェントルマンだけじゃない、まるで時計の針を止めてしまったかのように、みんな固まったままうごきをとめてしまったんだ。

カカシが振り向くと、遊園地はすっかり消えていてね。代わりにそこには大きな、てっぺんが見えないほどの大きな樹がそびえたっていて、その根元に花々に囲まれたひとりの女の子がーー正真正銘のカンナが、眼を閉じて横たわっていた。
いつまでも鳴り止まず、上の方から楽園にふりそそぐ鐘のなか、カカシは一歩一歩ちかづき、カンナに手を触れようとしたところで、一枚の透明な、よっぽど近づかなければ分からないほど透明なガラスのような壁が、ふたりをへだてているのに気がついた。
カカシが試しにトントン、と透明な壁をつついてみると、
「このままじゃきみは」と、ガラスに文字が表示されだしたんだ、「だれにもであえない」
そこまででいったん消えたあと、また順番に一文字ずつ、「であったとしてもそれはみな、きみがつくりだしたまぼろしにすぎない。いまのままじゃきみはかんなにであえない」

「きみはきみがおかしたつみのほんとうのいみをりかいするまで、なんどでもくりかえさなければならない」

いつしか鐘の音もなりやみ、カカシの目の前のガラスはそれまで映像をうつしていたにすぎないとでもいう風にとつぜんまっくろになってしまった。大きな樹も、そのしたで眠るカンナも、カンナをかこむ花々もーーすべて消え、ふたたび文字が語りかけてくる。

ーーほんとうに強制人格交換プログラムを起動してもよろしいですか?




Yes or No ?



カカシがなにも押さないうちに、画面はふたたびまっくろになった。



それに合わせて、カカシの視界もまっくろになった。視界だけじゃない。あたまのなかみも、すべてーー








「にんげんのかなしみのそこがみてみたい」
少女はそういうと、少年の右手にピストルをのせた。女の子の名前はカンナ、男の子の名前はカカシといった。
カカシはカンナのことが大好きだった。「ぼくはカンナに選ばれたとくべつなこどもなんだ」いつも自分にそういいきかせていた。「ぼくは……ぼくは……」いっしょうけんめい、なんどもなんどもいいながら、お父さんとお母さんのいる部屋へ、冷たく長い廊下をはだしで歩いた。とっても寒い日のことでね、足のうらはじんじんして何も感じない、だんだん頭もぼうっとしてくる。

ぼくはカンナに選ばれたとくべつなこどもなんだ。

気づくと、目の前にはかたくなったお父さんとお母さんがいた。眠っているみたいにも見えるけど、目はぱっちりとひらいていてね。カカシは左のポケットから携帯電話をとりだして、お父さんとお母さんのすがたをカメラで撮った。
それは、カカシ十二才の誕生日のこと。
窓からひとすじさしこんでいた光がとつぜんぐんぐんつよくなる、これはたまらない、と目を閉じようとした、そのとき、
カカシのあたまのなかで、なにかがパチンとつぶれる音がした。

光がおおきな手のようなかたちになってカカシをつつみこもうとしているのが、最後に見えた。
















                                                   Ⅱ

2011/07/19

原始の雄叫び

投稿者 福田快活   7/19/2011 0 コメント
まちには臭いがあるんだってことに気づいた。

草いきれのもわっとした臭いはただ嗅覚だけぢゃなくて、肌にも感じられ、眼にもみえるかのような質量で迫ってくる。

近くに雑木林があるくらいで、他はただの住宅街だから、雑木林ひとつでこうも違うんだと結論づける。誰も手入れをしてるようにはみえない、野放図、やりたい放題好き勝手に草木が成長してる。「ヤホー!」叫びながらすくすく、幹・枝・葉をのばしてんぢゃないか。

そんなフリーダムな草木の跋扈を東京では感じたことがなかった。緑があってもそれは、丁寧に手入れ・矯正された金玉抜かれた草木の閉鎖病棟だったからか。いや、話はそんな簡単か。

ただおれが慣れて鈍感になってただけ。そう考えた方がいい気もする。馴らされ、矯正されてるのはおれの方。ん。そうだろう。なにしろ郊外ベッドタウンにいっただけで「草いきれ」って騒いでるくらい閉鎖病棟;東京につかってんだから。「ヤホー!」て叫びたい(笑)

2011/07/07

カンナとカカシ(14)

投稿者 Chijun   7/07/2011 0 コメント
 ひきつぎがすむとおばあさんたちはもうカカシに興味をなくしてしまったようす。鼻をおもいっきりかんで、いとおしげに鼻紙を見つめていた。
「こんなちいさな背中じゃ龍宮城にはのせていけないが、木の実があるところくらいなら教えてやれるぜ?」右の頚は得意げだ。
まんなかはうつむいて黙ったまま、こちらを見ようともしない。
左はあいかわらず「ティッシュ! ティッシュ!」とうるさい。
するとカカシの背後からぬっと手がとびだしてきて、緑に汚れた鼻紙をやかましい左の頚におしつけて、ぐりぐりと。ティッシュに顔をうもれさせて、左もようやく静かになった。



カメとは思えないほど速い三ツ頚の四つ足の回転を、そのうしろにつけながら、カカシは見下ろしていた。しかし手のひらサイズのカメがいくら回転数を上げたところで、歩幅が大きくなるわけではないのだから、そこはやはりカメらしく遅々とした歩みだ。カカシはときどき右を見たり左を見たり、あるいは立ち止まって物思いにふけったりしながら、ゆっくりとカメのうしろを歩いていた。

「……そこに咲いてるのがカトナウヘで……そっちであたまを垂れてるむらさきのがジェントリウムで……って、おい。おまえ話きいてないだろ?」
あんまりカメの歩みがおそいので、カカシはすっかり飽きてしまっていたんだね。注意されたところで、ぼうっとかすんだ眼をカメの方にいっしゅん向けただけだった。
「仕方ないさ」まんなかが、右をなぐさめるようにいった。「こんなところにくるやつだ。じぶんのことにしか興味がないのさ。そういう奴にかぎって、たいてい陳腐なキャラクターなのはどうしたわけだろう? 『オレじぶんのことにしか興味がないから』っていうセリフじたい五万てやからがあっちでもこっちでも今日も明日も明後日も繰り返しているのに気づかないとでもいうのだろうか? いやいや。かりに気づいているとしたって、それでもくりかえして五万とんで一人目になろうなんてのは、没個性もいいところさ。そんなたいくつなじぶんばかりみてたって、楽しくなんてありはしないだろうに!」
「おれじぶんのことにしか・きょうみがないからっ、おれじぶんのことにしか・きょうみがないからっ、おれじぶんのことにしか・きょうみがないからっ……」左がうたうようにくりかえす。
「うそつきやがれ」と右が返した。「おまえみたいにどうしようもないバカな奴に、じぶんのことがすこしでもわかるってのか?」
「君みたいに奇矯な人格にこそ、神は自ら省みる術を与えるべきだったね。きっとじぶんを見ているだけで、一生たのしくやり過ごせたさ。まわりに迷惑をかけることもなく。……しかし我ら憐れなる存在よ。じぶんのなかに引きこもろうったって、こうも両脇でぎゃあぎゃあやられたのではたまらないね。せめて僕一人だけでも、別のこうらが欲しかった」

とまんなかが嘆いたところで、一行は(といっても一人と一匹だけだったけれど)見晴らしのいい丘の上に着いた。

丘のむこうには、イルミネーションにかがやく観覧車、ジェットコースター、メリーゴーランドが見えた。つまりそこは、まるで遊園地のようだったんだ。

振り返ると、見わたすかぎりとおもわれた花畑が、カカシの視線のずっと先で円形にくらい壁でかっきり切り取られていて、そこがある種の屋内庭園になっていたのがわかった。

ふたたび前を向くと、「ようやくだな」と右が教えてくれる。「見えるだろ? あそこでおめあてのもんが手に入るぜ」

丘をくだってさらに進むと、観覧車はだんだん大きくなり、ジェットコースターも見上げるばかり、メリーゴーランドから流れる電子音もどんどん大きくなってきた。

しかし大きくなったのは、遊園地ばかりではなかった。遊園地にむかう一人と一匹の後ろにはいつのまにか列ができていて、みんな大声ですきかってなことをしゃべってるんだ。よく見ると、カカシが出会ったひとばかりじゃないか! カカシに気づくと、

「小さな精神に目覚めかけた愛……くふっ。ついにここまでたどり着いたんだね。カンナのよろこぶ顔が見えるようじゃないかい?」ジェントルマンはにこにこ顔で、カカシを祝福するようだ。
ジェントルマンの後ろには見たことのない人が立っていたけれど、その優しげな声で、「こども電話相談室」のお兄さんだというのがわかった。「やあ、やっと会えたね。思ったとおり、君はまだまだ一人じゃ何もできない、ちいちゃなこどもだ。でも心配ないさ、僕たちが見ててあげるからね。」
ミカチンとアヤタンは、灰色の瞳をきらきら、黒いスカートをふわりふわりさせながら、「よくがんばったね! あとすこしで君のねがいもかなうよ」「ほらぶすっとしてないで、うれしいなら素直に笑ってごらんよ」と高い声だ。
そのうしろではマスクをしたおばさんが、モップをステッキのようにふりまわしながら、たんたかたかたん踊りくるっている。本人は踊ってるつもりでも、これじゃあ暴れてるのとかわりない。
 

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