見たこともない大金が懐に転がり込んでくることになったのは春のこと、それから初めての海外旅行に行こうと決めたのは七月の下旬。バイト先に相談すると快くクビを言い渡され、晴れて自由の身になった。九月一日に出発し、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、チェコ、オーストリア、イタリア、フランスの計八カ国をまわって十月一日に帰国。まる一ヶ月に渡る旅行中、何日にどこに行ったかぐらいの日記はつけていた。几帳面な性格ではないので、二、三日たってからまとめて記録することも多かった。だから正確さはそもそも信頼できない。その日記をもとに記憶を再構築し、ありありと外国の空気を読者の皆様にお伝えすることはできるだろうか?
私は部屋の隅に転がっていた手帳を拾って、出発した日のページを開いてみた。
9/1 出発。
9万→3-ポンド
→6-ユーロ
シンガポール空港。
皿ウドンのようなの6.8ドル
甘すぎるコーヒー2ドル。
計8.8ドル(568.233円)
この一風変わった七行の記述は、むろん前衛的な現代詩ではない。出発日は書いてある通り九月一日、二、三行目は九万円のうち三万円をポンド、六万円をユーロに両替したという意味だ。シンガポール航空に乗ったのでシンガポール経由、だから「シンガポール空港。」と書いてある。
皿ウドンのようなの、というのは、そうだ、思い出してきた……
成田からシンガポールまでの便。私は飛行機のなかできょろきょろしながら、たいへん焦っていた。もう乗り込んだのだから焦る必要などどこにもないはずなのだが、搭乗ゲートがあんなに遠いとは知らず(一番遠いゲートだった)、全力で走ってゲートに向かったので、もう着席したのにもかかわらず勢い余って「やべえよ、まじやべえ」と焦り続けていたのだ。ゲートにはまだ人の列があったので、結局のところ急ぐ必要などなかったらしいが、何しろ初めての海外旅行だ。乗り遅れたら夢のヨーロッパが水の泡。まったくの夢ならまだいいが、出発までに払った大金はすでに現実だ。汗まみれになりながらゲートを通り、いま思うと笑えるのだが機内に入る前に家族に電話までした(誰も出なかった。愛する家族が遠い異国の地へたった一人で旅立とうとしているのに)。民族衣装を着たキャビン・アテンダントに案内されて自分の席を見つけ、安心とはほど遠い気分のまま着席する。
窓の外を見て、ああもう一ヶ月はこの国の地を踏めないのだ、と思うと寂しさを通り越して恐怖を感じる。隣には日本人らしき人が座ってきて、落ち着いた様子で新聞を読みはじめる。自分もさっきもらった新聞を開いてみるが、英語なのでほとんどわからない。ただ政権交代が大きく報道されているのをちらっと認識しただけで、依然として脳内は圧倒的な恐怖に占められている。誰も信じないだろうが、そのときの私を見たらピンクの首輪をつけた震えるチワワに見えたことだろう。ぷるぷる。
ぷるぷるしながらも、本とか雑誌程度なら出しておいていいのか、それとも一切合切を全部荷物棚に入れなければならないのか気になって、隣の人に尋ねてみた。彼は隣にチワワが座っていることに対する驚きを巧みに隠しながら、「さあ、本ぐらい大丈夫なんじゃないですか」と答える。これがきっかけで、シンガポールまでの道のりが楽しいものになった。Kさんというこの人は自転車のウェアを作る会社をやめて十日ほど旅行するらしい。行き先はチューリヒで、スイス国境近くにあるドイツのなんとかというところに行って自転車の展示会を見るのだという。もともと個人的な旅行として行くつもりだったのだが、それを仕事仲間に話したことによって取材を頼まれ、結局旅行目的の半分以上は仕事になってしまった。
という話を聞いているうちに飛行機は動き出し、ああ動き出したな、と思いつつも話は終わらない。ああ話が終わらないなあ、と思っているうちに、機首がぐっと持ち上がる感じがして、すでに我々は空中にいるのだった。そういうわけで、離陸の瞬間には、初めての海外旅行に旅立つ二十二歳の若者が経験するはずのドラマティックな感情は一切湧かなかった。
しばらくすると飲み物が配られはじめたので、私はビールを頼む。さらにしばらく経つと機内食が出る。和食を頼んだらそばが出てきたが、食感はボソボソとしてうまくない。ハンバーグやパンもついてきた。おもしろいのは、そばつゆや飲み水など液体物のほとんどがゼリーや豆腐の容器みたいなものに入っていること。ぴりっとビニールのふたを剥がし、そこにそばを入れて食べるというのは変な気分だ。その必要性は理解できるが、すくなくとも料理をおいしく感じさせる容器ではない。食事を味わう精神的余裕がないことに感謝。Kさん曰く機内食は「エサみたいなもの」。たしかに長時間ただ座って時間をつぶしていると、エサを待っている家畜みたいな気分になる。
Kさんとはシンガポールのチャンギ空港で別の飛行機に乗り継ぐまでの間、一緒に過ごした。私の日記に書かれていた「皿ウドンのようなの」「甘すぎるコーヒー」は、Kさんと入ったレストランで食べたものである(Kさんがおごってくれたにも関わらず、私は詳細に金額を記している。たぶん、これからの長い旅行期間、きっちりと「おこづかい帳」をつけようと思ったのだろう。しかし、使った金額を実際に記録したのは翌日までである)。Kさんはエキゾチックな見た目のカレーのようなものを頼んでいたが、私は無難に「皿ウドンみたいなやつ」にした。そしたら本当に皿ウドンにそっくりで何のおもしろみもなく、しかも少ないし、まあ安いからいいけれども、もうちょっと挑戦的なメニューにすればよかった。アイスコーヒーを頼んだら、なぜか砂糖とミルクが最初から入れてあってやたらに甘ったるい。ぶつぶつ不平をいいながらも、話し相手がいるのが嬉しくていろいろとしゃべる。Kさんも学生の頃に彼女(現在ではご夫人になっている)とヨーロッパを旅行したそうで、私の不安をことごとく解消してくれる。
食後、次の便の搭乗ゲートの確認がてら、二人でうろうろする。チャンギ空港は非常に設備がよい。免税店や飲食店もたくさんあるし、休憩室はもちろんトランジット・ホテルまである。あちこちにベンチやソファがあって、自由に接続できるネットブースもあり、空港中を Wi-Fi の電波が飛んでいる。映画館やゲームセンターまであるらしい。私もKさんもMacをもっていたので、ネットサーフィンやメールチェックをしながらだらだら雑談して時間をつぶした。「ちょっと散歩してきます」と荷物の見張りを頼み、手ぶらで空港内をぶらぶら歩き回ったりできたのもKさんのおかげである。屋外に喫煙所を見つけたので、一服。シンガポールのじめじめした空気を肌に感じながらゆっくりと煙を吐き出すと、出発前の「大旅行だ!」という明らかに時代を錯誤した意気込みと緊張が、徐々に解けてくるのだった。