あ、1本いいっすか?

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2011/05/21

書籍とは何か

投稿者 じん   5/21/2011 0 コメント
先日、原研哉氏と永原康史氏のオーガナイズによる「言葉のデザイン2010ーオンスクリーン・タイポグラフィを考える」の第7回研究会「印刷とweb/文字を透視する」に参加した。講師はデザイナーの田中良治氏と、アドビシステムズの山本太郎氏。

田中氏がデザインした、時間の経過とともに崩れていくフォントは、「文字は動かない」という期待を裏切るもので興味深かった。しかし個人的には山本氏の書籍に対する愛情のほうがより力強く響いたので、今回はそちらを紹介したい。

■書籍とは内容と形態の統合である

書籍とは何だろうか。ちょっと考えてみて出てくるのは、「紙に何らかの情報が印刷され、綴じられたもの」といったところだろうか。研究会でアドビの山本氏の論では、書かれた内容と、その見せかたが、密接に結びついたものが書籍である。現在書籍といえば紙がまだまだ代表格。紙に印刷するということは、レイアウトが製作者の意図した形で固定されるということである。行間、字間、字体や、図の配置、余白のデザインはもちろん、綴じかた、装丁に至るまで、「本」に含まれるすべての要素は、内容や、作られた目的に沿った形に作られる。このように内容と形態とが統合されているのが書籍である。この内容と形態はタイポグラフィが長年の歴史で目指してきたものでもある。

■WEBは内容と形態を分離してきた

タイポグラフィは、レイアウトを固定することで読みやすさを追求してきた。一方WEBは表示される文章のデータと、それをどのように表示するかという体裁のデータを分離する方向で進んできた。ブラウザのウィンドウの幅を変えれば、それに応じて1行の長さが変わるのはそのためだ。レイアウトを固定しないことで、PCの大きなスクリーンから携帯電話のような小さなスクリーンまで、どんな環境でも同じ文章を無駄なスクロールをすることなく表示できる。ただし、これは読みやすさを追求してきたタイポグラフィの考え方とは矛盾する。

■読みやすくなければデジタル「書籍」ではない

今、書籍のデジタル化が注目されているが、文章をテキストデータに置き換えただけでは、書籍とは言えない。紙をスキャンしたPDFも、レイアウトは紙に適切なものである。画面上でも見やすいとは限らない。デジタル書籍が「書籍」となるためには、タイポグラフィの理想を貫き、媒体に応じたもっとも見やすいレイアウトをとらなければならない。山本氏はそれを実現するのがこれからのデザイナーとエンジニアの仕事だと力説していた。

■書籍に形はない

永原氏から、書籍にきまった形は存在しないという、山本氏とは違った視点も提供された。アルタミラの壁画から、古代中国の甲骨文字、木簡、葦を原料とするパピルスと来て、紙は文字情報としては非常に新しいものである。今後もどんどん変化していくだろう。500年後に何が書籍と呼ばれているか、確かにまったく予想がつかない。

余談。

タイポグラフィ――印刷物のレイアウト・見せかたについては無知であるが、印刷とWEBの文書についてAdobeの中の人の話が聞けるというので楽しみにしていたこの研究会。「書籍とは何か」について面白い話を聞くことができた。また、デジタル技術が進み、マルチメディア、マルチメディアと騒ぐ割に、人々はメール、Twitterとどんどん文字に執着しているという指摘も面白った。何台ものMacが並び、前方スクリーンに講師のプレゼン資料が表示され、その横にはTwitterのタイムラインが流れる。Ustreamの放送をみながら、会場で話を聞きながら、みな「書籍」になりえないただのテキストを垂れ流す。

文字情報は静止画や動画に比べればそれ自体がもつ情報量は小さい。しかし、その分人々の焦点は定まりやすい。それが文章表現の強さだろうか。この辺も考えると楽しそうだ。
 

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