相手の口癖がうつるのは、たくさん聞いて「考え方が刷り込まれる」のではなく、相手が自分の話を理解しやすくするため。相手の世界、相手の言葉へ自分の気持ちを翻訳することであり、時枝誠記の「場面への融和」である。
職場の先輩の口癖は「めんどくさい」。コストパフォーマンスへの意識が高い先輩なので、必ずしも後ろ向きな口癖ではないのだけれど、後ろ向きな見た目をしたことばって出来るだけ使いたくはないな、と当初思っていた。ところが最近どうもこの先輩の口癖が最近うつってきたようだ。
「口癖がうつる」というのは、長く一緒にいる人と考え方が似てくることを指して使うことが多いけれど、実際にはどうだろう。コミュニケーションの道具としてのことばにまつわる現象として「口癖がうつる」ことについて考えているうちに、時枝誠記の「場面への融和」にたどり着いた。
「場面への融和」とは、相手の考え方に沿った表現をすることで相手の理解を促すこと。小さな子供に赤ちゃん言葉を使ったり、論理的な考えな人に対して情に訴えるのでなく理屈で説得したりするような場合がそれだ。
「口癖がうつる」というのもまさにこの「場面への融和」で、長く一緒にいれば相手がどのような時にどのようなことを考えてその口癖を使うのかが見えてくる。先輩の「めんどくさい」の場合は、額面通り面倒でやりたくないという感情の表現であると同時に、やろうとしていることのコストパフォーマンスが悪く、もしかしたら別のやり方が考えられるのではないか、さらにはやらない方がいいことなのではないかという考えの表れである。先輩がそういう事柄に対して「めんどくさい」を使うのであれば、「効率が悪いのではないでしょうか?」というよりも「少し面倒かもしれませんね」といった方が、はるかに伝わりやすく、話が早い。
さらに、同じことばづかいをする、というのは同じコミュニティに属していることを表現する手段でもある。相手が自分を仲間だと感じてくれれば、相手に自分の考えを理解させやすくなるのは言うまでもない。
つまり、「口癖がうつる」という現象は、相手と考え方が似てきた結果として起こるというよりも、相手と同じ考え方をしているのだと明示することで、実際には考え方が異なっていたとしても、自分の考えを理解してもらうという、コミュニケーションをとるうえでの戦略として現れてくるものなのだ。