「これはこれは。いったい何事だというのです?」聞いたことのある声がする。
「あなたの不幸は、トイレがいっぱいで掃除もできない、掃除しているのよとこれほど音高く私のモップに叫ばせているのに、鈍感な男どもは次から次に……その、もぞもぞしながらやってきて、頭にあるのは自分の欲望のことばかり、わたしのことなど目にとめようともしない。お前らはなにを見ているのだ? わたしはここにいる。わたしはここにいるんだ!!などという、実存的な叫びに端を発したものではないのでしょう? わたしにはわかる。あなたの不幸はむしろ実存の後の問題、すなわち、男しかいないはずのこの場所に、女であるわたしがいる。どうしてだれもそんな簡単なことに気づいてくれないの? そう、わたしは女なのよ!!という、性差の問題から来ているのでしょう。おやおや、不思議そうな顔をしていますね。あなたはまだそのことに気づいていないかもしれない。しかし、あなたのなかにも、あなた自身には見えないことがたくさんあるものです。だいじょうぶ、それはみんなおなじこと、あなたは素敵な女性だ。くふっ。……ちょっ、人をそんな目で見てはいけない。それじゃあ美しい顔がだいなしだ。わたしはね、フェミニストでもなければ、ジェンダー論者でもない。しかし美しい女性というものに関心を持っている。『わたしは女に生まれたのではない、女になったのだ』 この言葉は知っているかい? もしその通りだとすれば、男子用お手洗いで何年も(きっと何年もこの労働から抜け出せずにいるのでしょう?)何年も掃除を続けているあなたは、すっかり男になってしまった、いやすくなくとも、女ではなくなってしまったとでもいうのだろうか? そんなことはないから安心なさい。あなたの苦悩は、じつに美しくあなたの女性をふちどっている」
そこで声は止んで靴の音がたかくひびいたけれど、どうもトイレの出口とは反対側、ということは、もといた便器にむかって歩いているようだ。そうして音がやむ。おばさんはどうしているのだろうか? しんとしずまって物音ひとつしない。
ふたたび男の人の声が、部屋に響く。
「だからといって、今の私にあなたを救うことができないのはお許し願いたい。わたしは、まだトイレを出るわけにはいかないのです。くふっ」
カカシはもうしばらく、トイレのなかでようすをうかがっていた。音のするけはいがないので、今だ、とドアを抜けようとしたとき、こんどはちいさな女の子の、まま、まーま、とよびかける声が聞こえてきたんだ。そのありかから、どうもさっきの男の人の入っているトイレにむかってうったえているらしい。いってん男の人はしずまりかえってなんの反応もないうちに、女の子は、どんどん、どんどん壁をたたきだし、いっそうつよく、まま、まーま、と声をはりあげた。すると、ごそっ、となにかかっさらう音がして、あとはどれだけまってもなにも起こらない。
そこでカカシはこっそり部屋をでた。ゆかはまだびっしょりだったけど、ひとはまるでいなかった。トイレのカギをひとつひとつたしかめてみる。どれも青い。みんないつの間に出ていってしまったのだろう?
カカシはそろりと壁をぬけた。
そこにふたごのような女子高生のすがたはもうなかった。
「あなたの不幸は、トイレがいっぱいで掃除もできない、掃除しているのよとこれほど音高く私のモップに叫ばせているのに、鈍感な男どもは次から次に……その、もぞもぞしながらやってきて、頭にあるのは自分の欲望のことばかり、わたしのことなど目にとめようともしない。お前らはなにを見ているのだ? わたしはここにいる。わたしはここにいるんだ!!などという、実存的な叫びに端を発したものではないのでしょう? わたしにはわかる。あなたの不幸はむしろ実存の後の問題、すなわち、男しかいないはずのこの場所に、女であるわたしがいる。どうしてだれもそんな簡単なことに気づいてくれないの? そう、わたしは女なのよ!!という、性差の問題から来ているのでしょう。おやおや、不思議そうな顔をしていますね。あなたはまだそのことに気づいていないかもしれない。しかし、あなたのなかにも、あなた自身には見えないことがたくさんあるものです。だいじょうぶ、それはみんなおなじこと、あなたは素敵な女性だ。くふっ。……ちょっ、人をそんな目で見てはいけない。それじゃあ美しい顔がだいなしだ。わたしはね、フェミニストでもなければ、ジェンダー論者でもない。しかし美しい女性というものに関心を持っている。『わたしは女に生まれたのではない、女になったのだ』 この言葉は知っているかい? もしその通りだとすれば、男子用お手洗いで何年も(きっと何年もこの労働から抜け出せずにいるのでしょう?)何年も掃除を続けているあなたは、すっかり男になってしまった、いやすくなくとも、女ではなくなってしまったとでもいうのだろうか? そんなことはないから安心なさい。あなたの苦悩は、じつに美しくあなたの女性をふちどっている」
そこで声は止んで靴の音がたかくひびいたけれど、どうもトイレの出口とは反対側、ということは、もといた便器にむかって歩いているようだ。そうして音がやむ。おばさんはどうしているのだろうか? しんとしずまって物音ひとつしない。
ふたたび男の人の声が、部屋に響く。
「だからといって、今の私にあなたを救うことができないのはお許し願いたい。わたしは、まだトイレを出るわけにはいかないのです。くふっ」
カカシはもうしばらく、トイレのなかでようすをうかがっていた。音のするけはいがないので、今だ、とドアを抜けようとしたとき、こんどはちいさな女の子の、まま、まーま、とよびかける声が聞こえてきたんだ。そのありかから、どうもさっきの男の人の入っているトイレにむかってうったえているらしい。いってん男の人はしずまりかえってなんの反応もないうちに、女の子は、どんどん、どんどん壁をたたきだし、いっそうつよく、まま、まーま、と声をはりあげた。すると、ごそっ、となにかかっさらう音がして、あとはどれだけまってもなにも起こらない。
そこでカカシはこっそり部屋をでた。ゆかはまだびっしょりだったけど、ひとはまるでいなかった。トイレのカギをひとつひとつたしかめてみる。どれも青い。みんないつの間に出ていってしまったのだろう?
カカシはそろりと壁をぬけた。
そこにふたごのような女子高生のすがたはもうなかった。