あ、1本いいっすか?

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2010/09/14

ことばで世界を描くことについて

投稿者 じん   9/14/2010 1 コメント
 ことばの話がしたくなりました。日本語で語られる物語の主人公と、英語で語られる物語の主人公の話です。

 でもその話をする前に、頭に入れておいて欲しいことがあります。それはことばは世界を描くための道具だということです。

 以前「つぶつぶ」というお話で書きましたが、世界とは、原子というつぶつぶをほとんどすきまなく敷き詰めたものです。そのつぶつぶをいくつか選んで、選んだつぶつぶに「ねこ」という名前を付けて呼ぶことにします。名前を付ける前はなんだかよく分からなかった世界が、「ねこ」とそれ以外に分かれて見えるようになります。これをキャンパスに描くとすれば、真ん中に「ねこ」がひとつ、他のところは真っ白のまま。「ねこ」とそれ以外の世界が生まれます。これがことばで世界を描くと言うことです。ちなみにこの世界は頭の中だけにある世界です。ちょうど夢みたいなものです。映画が好きな人は夢ではなく「MATRIX」と読んでもかまいません。物理学のような「科学」の世界が現実の世界だとすれば、目が覚めたときに自分も世界もただのつぶつぶになってしまいます。

「ねこ」だけではつまらないので、いろんなものに名前を付けます。「ひと」とか「りんご」とか。「ねこ」が他のつぶつぶをゆっくり押し分けていく様子を「あるく」、速く押し分けていく様子を「はしる」と名付けることも出来ます。

さて、話を進めて、これから私がしようとしている話の結論。私が考えるに、日本語の物語の主人公は、他人です。書き手は登場しません。読者は書き手の目を通して世界を眺めることになります。一方、英語の物語の主人公は書き手である「私」です。読者は物語には登場しない何者かの目を通して、主人公の生活を眺めます。

日本語と英語をこんな風に見てみることで、二つの言語の世界の描き方、その言語を使って考える人のものの考え方が見えてくるんじゃないかと思っています。

例えば、日本語が主観的、英語が論理的な言語だとえる理由。英文和訳で英語の"I"をいちいち「僕は」とか「私は」とか訳していると日本語っぽくも英語っぽくもない不思議な文章になる理由。

これから書こうとしているのは、大学の卒業論文で挑戦して撃沈した、日本語と英語の世界です。時枝誠記、鈴木孝夫、森有正、本多啓の書いた本と私の経験をごった煮にした世界です。負けっぱなしでは悔しいので、もうちょっとがんばってみることにします。
 

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