あ、1本いいっすか?

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2010/02/19

ワンクリック狂気

投稿者 サトウ   2/19/2010 2 コメント
 グルジアのリュージュ選手、ノダル・クマリタシビリ(21)が、ヴァンクーヴァーオリンピック開会式直前の最後の公式練習で、コントロールを失ったソリから投げ出されて死亡した。21歳の若者が晴れ舞台を目前に不慮の事故で亡くなってしまう、ということだけで十分に悲劇的であるが、もっと衝撃的なのは、スタートしてから時速140キロ以上のスピードで鉄柱に激突、死亡に至るまでの一連の映像が、インターネットを介して全世界に配信されたことである(テレビではもちろん激突の寸前、クマリタシビリが空中に舞い上がったところまでしか映さなかったし、ネット上でもyoutubeでは誰かが配信するたびにIOCが即座に削除、また別の人がアップ、という恒例のいたちごっこを経て、ではあるが)。
 なんであんなところに柱があったんだ、とか、スピードを重視しすぎたコースが悪いんだとか、いろいろな批判はある(し、そういう事が起こってしまったからには構造的な欠陥を批判することは絶対に必要だと思う)が、しかし、私はなぜそんなにも彼の死が人を──不謹慎な言い方だということは承知で言わせてもらうが──魅惑するのか、そのことのほうが気になってしょうがない。
 実際わたしも暇にまかせて、何度も彼の〈死への滑走〉の映像を見てしまった。ソリはカーブの出口でコースの側壁にあたり、舞い上がった彼の体はカーブの外側にあった鉄柱に背中からぶつかる。報道によれば140キロ以上出ていたのに、まるで柱にぴたっとくっつくように、彼の体は静止する。彼の体は二度と動かない。
 他のどのメディアでもなく、映像という媒体に特有の説得力があるのだ。バルトが『明るい部屋』で書いたように、写真(この場合は動画だが)は、その被写体が「たしかに存在した」ことと同時に、彼が「もはや存在しないこと」まで証明してしまう。「写真、バルト、時間」(『〈明るい部屋〉の秘密』青弓社)で、長谷正人はこれを見事に説明している。原文は引用しないが、単語だけ入れ替えてほぼそのまま記述しよう(すみませんがどの単語を入れ替えているとかそういったことは明示しません)。

〈以下二段落は「ほぼ」引用〉
 私たちはまず、この動画を「過去」の衝突事故死という出来事を捉えた写真として見る。クマリタシビリというリュージュの選手がそのときカメラの前にいたのだ(「彼は─かつて─いた」)、と。ところがよく考えれば、これが撮影されたそのとき、クマリタシビリはまさにこれから死のうとしていたのだった。その意味では私たちは、この動画から、近い「未来」に起きようとしている衝突事故死という出来事を恐怖とともに読み取ってしまう。しかもさらにもう一度我に返って考えるならば、その未来に起きようとしている衝突事故死は、すでに「過去」のものとして終わってしまったのだ。つまり私たちは、過去にすでに起きたことを知っているはずの出来事を、これから未来に起きるかのように恐怖していることになる。
 いまこれから死のうとしているクマリタシビリを動画のなかに見るとき、私たちは衝突事故死という実際に起きてしまった未来だけでなく、もしかしたら彼が死ななかったかもしれない別の歴史的可能性をどこかで感じるのではないか。少なくともこの映像が撮影されはじめたときには、まだ何が未来に起こるのかわからなかったのだから(何事もなくゴールして夕方の開会式に出席できたかもしれないのだ)。この映像は、そのような複数の未来の潜在的可能性にさらされたままスタートするクマリタシビリの姿を見せてくれる。そしてそれを見ることによって、私たちは、結果的にはこのようにしかありえなかったいまここに至る継起的歴史の時間が、別の可能性に向かっていまここに開かれていくのを感じるではないか。それはいささか倒錯した時間的経験なのかもしれない。だがこの動画を見るという経験は確実にそうした狂気を孕んでいるというしかない。
〈「ほぼ」引用以上〉

 私たちが彼の死に魅惑されるのは、あの動画を見ることによってこのような「倒錯した時間経験」を体験するからなのだ。
 バルトが論述の対象とした写真と違う点は、クマリタシビリの死亡事故の動画は原理的には無限に、しかも一瞬にして全世界に増殖し得たということである。私たちはしかるべき検索語句を打ち込み、リンクをクリックするだけでこの「狂気」を、しかも、もし望むならば何度でも手軽に体験できてしまうのである。しかし、それは同時に、私たちは動画の再生ボタンをクリックするたびにクマリタシビリを何度も殺している、ということでもあるだろう。
 

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