あ、1本いいっすか?

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2011/01/30

妻殺し三部作

投稿者 福田快活   1/30/2011 0 コメント
まずはこうだ――2人は若かった。自分たちはほんとうに特別なカップルで、この世で2人に叶えられないことなんてない、そう思ってた。ステキな家に住んで、ステキな会社で旦那さまは働いて、彼女はステキに奥様をこなす。「わたしたちは理想のカップル!」この高揚は恋と同じで、「若い」の乳飲み子だ。老いらくの恋なんてのはない、恋をする、ということは若い、ていうことで、若さにはまたいつかおわりが来る。ふたりのおわりは速く来た。日常に埋もれて、アメリカに砂の数ほどいる郊外に家をかまえた家庭のひとつに過ぎなくなる。自分たちがみじめになる。だからパリにいこう。すべてを置き去りにしてパリに住もう。彼も会社を辞める。はずだったのが棚ぼたで仕事が楽しくなる。彼は勝手に「現在」に意味と活力を見いだして「パリになんかいかない」そう言い出す。彼女の妊娠がいい口実になる。ふたりで決めたはずの選択;パリにいく、から勝手に彼はぬけだして歩きはじめてる。楽しい仕事。子どもは大して関係ない。もう彼は選択してしまった。なにかを選択したら、ほかのすべては無力な可能性の残骸になる。じゃあ、彼女の選択は?ひとりでパリにいくの?彼女はバスタブでひとりで子どもを堕ろそうとする。失血死する。残された彼は手紙を発見する。

Dear Frank        フランク
whatever happens   何があっても
don't blame yourself 自分を責めないで
I love you         愛してるよ

つぎはこうだ――彼は連邦保安官、クソ激務。捜査がつめに入ると何日も家に帰れない。数日ぶりに帰ってきた。妻が見あたらない。子どももいない。呼ばう。部屋、部屋をチェックする。裏庭にでる。妻がいる。ずぶ濡れ。「子どもたちは?」「学校よ」「今日は土曜じゃないか」「わたしの学校じゃ土曜も授業なの」裏庭のすぐ先は湖になっている。浮かぶナニカを彼の眼が捉える。水にわけいり、子どもたちの亡骸をかかえる。妻を詰問する。殺してやると脅す。殺してと彼女は頼む。殺す。仕事にかまけて妻の異変を気にとめず、自分が妻を発狂させて子どもたちを殺させた、自分が妻を殺した、現実を受け入れられず、彼は孤島の精神病院に隔離されている。

さいごはこうだ――夢、無意識の世界に妻と侵入した彼は、そこにふたりの王国をつくる。完璧な世界。いつまでもここにいちゃダメだ、現実にもどろう、彼は言うけど彼女は拒否する。彼は彼女に「いまここにいる世界は夢なんだ。ほんものじゃないんだ。」という想を植えつける。そしてふたりで現実にもどってくる。彼女は「ここもまだ偽物の夢の世界」と思っていて、それを証明するために彼の目の前でホテルから飛び降りる。彼は妻をかかえたまま、現実と夢とを選択できずに生きている。

最初は『レボリューショナリー・ロード』つぎは『シャッター・アイランド』最後は『インセプション』。2008~2010年にレオナルド・ディカプリオが主演したキャラクターは一貫してて、発展してる。妻を死なせてしまうまで→妻を発狂させて殺した現実を受け入れられない→妻を死なせてしまった現実からどう先にすすむのか、何を選択すればいいのか。この三つはレオ様の「妻殺し三部作」だ。中年太りしたレオ様の、渋さ、かっこよさ満載でどれもいい映画だ。レオ様は泣き顔がまたいい。自責の念にかられて涙にまみれる姿が。

レオ様の次回作だけど、いま製作中なのは有名なFBI長官フーヴァーの役。彼は死ぬまで独身だった。妻殺しは三部作で完結だろう。ぢゃあ、その結末は?妻を殺したはてに人はどう生きるのか?生きないのか?異議もあるだろう『インセプション』の選択はこうだろう――夢か現実かなんてどうでもいい。残った子ども達のために生きていく。だからこそ子どもたちを殺された『シャッター・アイランド』では発狂するしかなかったのかもしれない。最後に現実を受けとめたような、意味不明なせりふを言ってはいるけれどw
 

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