それからどれだけ時間がたったのか、カカシにはわからなかった。なんせ時計も太陽も、朝も夜もないのだから。部屋は変わらず光っているばかり。カカシはまた泣き出しそうになる。と、ポケットのなかでふるえるものがある。そうだ、ケータイだ。すっかり忘れていた。
携帯電話をとりだすと、見たことのない番号からかかってきている。知らんぷりをきめこんでポケットにふたたびしまおうとしたとき、とつぜん電話がしゃべりだした。
「こちらこども電話相談室です。なにかお悩みごとですか? あせらずゆっくりしゃべってくださいね」
これじゃあまるでカカシから電話したみたいだ。
「部屋から出られない? かしこまりました。ただいま電話を代わります」
電話から、なつかしい音楽が聞こえてくる。タンタタタンタタタン、タタタタタタタ……毎日放課後に流れていた、そう、「パッヘルベルのカノン」だ。音楽の先生が教えてくれた。
「はじめまして。こまっているんだね」
電話口から聞こえるのはやさしい男の人の声で、こんどはカカシもしぜんにたずねられた。
「カンナはどこ?」
「知らないおじさんに声をかけられてもついていかなかったんだね。えらい、よくできた。君はかしこいこどもだ。自分にもっと自信を持っていいんだよ。安心なさい、君はぼくらにまもられているんだから。こどもたちをまもるのが、ぼくら大人の仕事なんだ」
「カンナは……どこ?」カカシはもういちど部屋を見回すが、やはりだれもいない。
「かわいそうに。君は君のことを君だとおもいこんでしまっているようだが、かんちがいしてはいけない。今、スイッチをきりかえてあげるよ」
かちっ、という音が受話器のむこうでしたかと思うと、カカシはとつぜんいなくなってしまった、というのも、自分のすがたが見えなくなってしまったんだ。
「ああ、ごめんごめん。まちがえて消しちゃったよ。こんどはだいじょうぶ。そらっ」
かちっ。
自分の手が見える。よかった、足も見える。でも……ここは? こんどカカシの目に入ったのは、ずっと続くながい廊下とかべにそってきれいに並ぶたくさんのドアだった。右を見ても左を見ても、同じ風景。廊下はゆるやかに曲がっていき、その先になにがあるのかは見通せない。どちらにすすむべきか、カカシは迷った。
カカシは左を選んだ。
歩いても歩いてもやっぱり廊下はゆるやかに曲がっていて、両側には同じドアがずうっとならんでいる。もしも廊下が完全な円をえがいているとしたら?
――そしたらどこまで行っても同じこと。どこか別の場所へ抜けるためには、……ドアを開けなければならない?
カカシは壁しかない、最初の部屋を思い出した。もしまたとじこめられてしまったら……
――でも、ドアがついているということは、部屋の内側にもドアがついているということ。それなら部屋に入っても、もう一度ここにもどってくることができる。そんなのはあたりまえのこと。ふつうに考えればそうなる、けど……。でも、なかにはだれか人がいて、かってに開けたら怒られるかもしれない。それに、できれば知らない人にはあいたくない。
それでもカンナにはあいたい。カンナはここにはいない。カンナのきれいな顔をもういちど見るためには、このままここにいてはだめだ。
カカシは勇気をだしてノブに手をかける。
ところが、鍵がかかっているのだろうか、ドアはちっともうごかない。「あれ?」 となりのドアも試してみる。ところがやっぱりうごかない。「あれ? あれ?」 カカシは次々に試していったけど、ドアはいっこうに開かない。こんこんとたたいてみても、廊下に響くのはノックの音だけ。やけになって次から次へドアにとびかかる。「なんでぼくだけいつもひとりぼっち……!!」
無我夢中のうちに思わず開けてしまった最後のドアの奥で、ちいさな女の子が泣いていた。しゃがんでうつむいている、その顔をのぞくことはできそうにない。カカシはどうしていいかわからない。どうしていいかわからないけれど、とりあえず泣き止んでもらわなきゃならない。なにもできないでいるカカシをよそに、その泣き声はどんどん大きくなっていくのだ。こんなところだれかに見られたら、自分が女の子を泣かしているとかんちがいされてしまう。
「……どうしたの? ……なにかあったの?」
女の子はかたくなにうつむいていやいやをする。
カカシはふとジェントルマンの話を思い出した。〈やれ、といったところで、こどもはなかなかそのとおりにしてはくれない。……〉自分よりも幼い女の子をまえにして、カカシはおじさんの気持ちが少しだけわかった気がした。なにかお話をしてあげなきゃ……
「ぼくはね、君のオニーサンじゃないよ。もちろんオネーサンでもない。しいていえば……オニーサンじゃなくてオネーサン? だって見た目だけで決めつけちゃだめじゃないか!!」
ちょっとみじかくなっちゃったし、なにかまちがっているような気もするけど、自分なりにくふうできた自信はあった。小さな子は、いっぺんにたくさん話しても理解できないだろうから。それに、最後はおおきな声ではっきりいえた。
女の子は泣きやんで、きょとんとした顔でじっとこちらを見つめている。