江戸時代の戯作(とりあえずは小説と思っといて)のキーワードは「ムダ」だ。デタラメでなんの肥やしにもならない、つまらない駄洒落、ギャグ、観察でひたすらつなげる。学校の教科書にでてくる『東海道中膝栗毛』なんて、それの牛のよだれで二十年以上やってるんだから、呆れるというかすごいというか、、イヤやっぱ呆れるしかない(-_-)おなじつまんないギャグなんべんも使いまわすし。。。
「ムダ」っていうのは勝手にいま言ってるんではなくて、戯作の作者自身よくゆってる。式亭三馬の『戯場粋言幕の外』の跋文(あとがきネ)で三馬が「戯作はムダ」宣言をしてると思ったら、ちがった。。。どうしよう?実はこの「ちがった。。。どうしよう?」の13字の間にかれこれ、2時間くらい「戯作はムダ」宣言をしてる本をさがしたんだけどみつからない。。。「戯作の作者自身よくゆってる」と4行前でいったことは忘れてもらって、この『戯場粋言幕の外』(どういう戯作かは今度ゆっくり)の跋文を見よう。
シバイ好きからシバイ嫌いをみたらまるでアホ、シバイ嫌いからシバイ好きをみたらただのアホ。シバイを好きなアホは勧懲(イイモンが勝って、悪いモンが負ける)をシバイと思うアホで、シバイを嫌うアホはシバイを勧懲と思わないアホ。アホアホ勧懲すべてシバイにあるのをしらない、アホアホ、シバイすべて勧懲なのをしらない。アホアホよく勧懲を知ってシバイを見れば、シバイ=勧懲になる。ああ、、シバイってなんて勧懲なんだ!
おれも一個のアホー
遊戯堂主人(三馬のこと)
ん?中途半端に訳すから意味がわかんないって?違うんだよ。元から意味わかんないんだよw(読みたくない人は↓は読まずに△から読んで)
芝居好より劇場嫌を看ては癡呆の似く、勾欄嫌より劇場好を視ては癡呆の如し。芝居を好む癡呆は勧懲を狂言と想ふ癡呆にして、芝居を嫌う癡呆は演劇を勧懲と思はぬ癡呆なり。癡呆\/勧懲総て狂言にある事をしらず、癡呆\/狂言都て勧懲にある事をしらず。癡呆\/克勧懲を知て狂言を見ば、狂言即勧懲ならん。嗚呼狂言勧懲なるかな。
是も一個の癡呆的
遊戯堂主人
読みたい人のために補足すると―
芝居・劇場・勾欄はぜんぶ「しばゐ」のルビ
癡呆は「たはけ」
狂言・演劇は「きょうげん」まあ歌舞伎ってこと。野村萬斎のやつは関係ない。
総て・都ては「すべて」
克は「よく」
即は「すなわち」
癡呆的は「たわけもの」
ちょっと中国のむかしの白話小説(『三国志演義』とかに代表される)の用法も入ってるけど(勾欄とか的)、近代国語教育以前だと漢字と読みが一夫一婦制ぢゃないから、そんな変ぢゃない。(いまからは読めない「都て」は当時の常識)
△ こんなもん、まともに読んぢゃ失礼で、「狂言と勧懲についてとやかくいう風潮があって、うんざりしてた三馬はこうやっておちょくってんだなあ。なめてんなあ」がまともな感想。「たわけ」と「かんちょう」だけは「癡呆」「勧懲」以外の漢字をつかってないところから、三馬先生の腰の入りようがしれる、ってもんで(勧懲は音読みだけどね)。
要は国語の試験問題的に「この文章で作者の言いたいことはなんですか?」と聞かれりゃ「アホ!」の3文字でたりる、いっぱい漢字つかって、もっともらしい跋文のような162字(!)があって、中身は「アホ!」の3字。
この162-3=159字分のムダが江戸の戯作だ
「ムダ」っていうのは勝手にいま言ってるんではなくて、戯作の作者自身よくゆってる。式亭三馬の『戯場粋言幕の外』の跋文(あとがきネ)で三馬が「戯作はムダ」宣言をしてると思ったら、ちがった。。。どうしよう?実はこの「ちがった。。。どうしよう?」の13字の間にかれこれ、2時間くらい「戯作はムダ」宣言をしてる本をさがしたんだけどみつからない。。。「戯作の作者自身よくゆってる」と4行前でいったことは忘れてもらって、この『戯場粋言幕の外』(どういう戯作かは今度ゆっくり)の跋文を見よう。
シバイ好きからシバイ嫌いをみたらまるでアホ、シバイ嫌いからシバイ好きをみたらただのアホ。シバイを好きなアホは勧懲(イイモンが勝って、悪いモンが負ける)をシバイと思うアホで、シバイを嫌うアホはシバイを勧懲と思わないアホ。アホアホ勧懲すべてシバイにあるのをしらない、アホアホ、シバイすべて勧懲なのをしらない。アホアホよく勧懲を知ってシバイを見れば、シバイ=勧懲になる。ああ、、シバイってなんて勧懲なんだ!
おれも一個のアホー
遊戯堂主人(三馬のこと)
ん?中途半端に訳すから意味がわかんないって?違うんだよ。元から意味わかんないんだよw(読みたくない人は↓は読まずに△から読んで)
芝居好より劇場嫌を看ては癡呆の似く、勾欄嫌より劇場好を視ては癡呆の如し。芝居を好む癡呆は勧懲を狂言と想ふ癡呆にして、芝居を嫌う癡呆は演劇を勧懲と思はぬ癡呆なり。癡呆\/勧懲総て狂言にある事をしらず、癡呆\/狂言都て勧懲にある事をしらず。癡呆\/克勧懲を知て狂言を見ば、狂言即勧懲ならん。嗚呼狂言勧懲なるかな。
是も一個の癡呆的
遊戯堂主人
読みたい人のために補足すると―
芝居・劇場・勾欄はぜんぶ「しばゐ」のルビ
癡呆は「たはけ」
狂言・演劇は「きょうげん」まあ歌舞伎ってこと。野村萬斎のやつは関係ない。
総て・都ては「すべて」
克は「よく」
即は「すなわち」
癡呆的は「たわけもの」
ちょっと中国のむかしの白話小説(『三国志演義』とかに代表される)の用法も入ってるけど(勾欄とか的)、近代国語教育以前だと漢字と読みが一夫一婦制ぢゃないから、そんな変ぢゃない。(いまからは読めない「都て」は当時の常識)
△ こんなもん、まともに読んぢゃ失礼で、「狂言と勧懲についてとやかくいう風潮があって、うんざりしてた三馬はこうやっておちょくってんだなあ。なめてんなあ」がまともな感想。「たわけ」と「かんちょう」だけは「癡呆」「勧懲」以外の漢字をつかってないところから、三馬先生の腰の入りようがしれる、ってもんで(勧懲は音読みだけどね)。
要は国語の試験問題的に「この文章で作者の言いたいことはなんですか?」と聞かれりゃ「アホ!」の3文字でたりる、いっぱい漢字つかって、もっともらしい跋文のような162字(!)があって、中身は「アホ!」の3字。
この162-3=159字分のムダが江戸の戯作だ
ぢゃ、今日はこれくらいで。ヾ(◎皿◎)バイバイキーン