あ、1本いいっすか?

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2009/11/27

おれる

投稿者 じん   11/27/2009 1 コメント
箸が折れた。

それだけでも何だか良くない事が起こりそうな気がするけれど、残念ながらそれは、そこらに転がっているような普通の箸なんかではない。この夏、学生時代最後の夏の、屋久島ひとり旅で、たったひとつの自分へのお土産として連れ帰り、それ以来マイ箸として使ってきた、屋久杉の箸。その箸が、折れた。

大学図書館でやっかいな授業の予習を終え、水筒の水を一口。その水筒をバッグに戻したところで、「パキッ」という乾いた小さな音がした。嫌な予感を、ただの予感で終わらせてしまおうと、この箸専用の藍楽彩の青い箸袋を取り出し、そっと引き抜く。

箸の先2cm辺りが、繊維数筋で繋がった、無惨な姿が、そこに現れた。

あぁ、楽しかった旅の思い出が、旅先で出会った新たな友人達の顔が、勉強で疲れきったはずの脳裏に、鮮明に、一瞬間に、浮かび上がる。仄かな恋心を抱いたまっつん。遠くスペインからやって来たナッチョ。みんなで入った月明かりの海中温泉。孤独な老人のようにみえた縄文杉――

暫しの放心の後、自分を奮いたせるために、言い聞かせる。こんなにも鮮やかに思い出せるほど、あの夏の思い出は、この胸にある。たとえ箸が折れたとしても、それはただ、箸が折れたという、ただそれだけのことではないか。

大袈裟な言葉が、大袈裟な調子で、大袈裟に響く。

いつまでもここで感傷に浸っているわけにはいかない。やらなければいけないことが手帳にぎっしり書かれている。明日も早い。とにかく家に帰ろう。そしてぬるま湯で体をじっくり暖めながら、この箸をどうするか、考えてみよう。

そう決めて立ち上がり、ひんやりとした秋の夜、余計なことを考えないように、無心に駅までの道を歩いた。

2009/11/25

159字分のムダ ~江戸なんてムダ 1~

投稿者 福田快活   11/25/2009 0 コメント
江戸時代の戯作(とりあえずは小説と思っといて)のキーワードは「ムダ」だ。デタラメでなんの肥やしにもならない、つまらない駄洒落、ギャグ、観察でひたすらつなげる。学校の教科書にでてくる『東海道中膝栗毛』なんて、それの牛のよだれで二十年以上やってるんだから、呆れるというかすごいというか、、イヤやっぱ呆れるしかない(-_-)おなじつまんないギャグなんべんも使いまわすし。。。

「ムダ」っていうのは勝手にいま言ってるんではなくて、戯作の作者自身よくゆってる。式亭三馬の『戯場粋言幕の外』の跋文(あとがきネ)で三馬が「戯作はムダ」宣言をしてると思ったら、ちがった。。。どうしよう?実はこの「ちがった。。。どうしよう?」の13字の間にかれこれ、2時間くらい「戯作はムダ」宣言をしてる本をさがしたんだけどみつからない。。。「戯作の作者自身よくゆってる」と4行前でいったことは忘れてもらって、この『戯場粋言幕の外』(どういう戯作かは今度ゆっくり)の跋文を見よう。


シバイ好きからシバイ嫌いをみたらまるでアホ、シバイ嫌いからシバイ好きをみたらただのアホ。シバイを好きなアホは勧懲(イイモンが勝って、悪いモンが負ける)をシバイと思うアホで、シバイを嫌うアホはシバイを勧懲と思わないアホ。アホアホ勧懲すべてシバイにあるのをしらない、アホアホ、シバイすべて勧懲なのをしらない。アホアホよく勧懲を知ってシバイを見れば、シバイ=勧懲になる。ああ、、シバイってなんて勧懲なんだ!
   おれも一個のアホー
                     遊戯堂主人(三馬のこと)


ん?中途半端に訳すから意味がわかんないって?違うんだよ。元から意味わかんないんだよw(読みたくない人は↓は読まずに△から読んで)


芝居好より劇場嫌を看ては癡呆の似く、勾欄嫌より劇場好を視ては癡呆の如し。芝居を好む癡呆は勧懲を狂言と想ふ癡呆にして、芝居を嫌う癡呆は演劇を勧懲と思はぬ癡呆なり。癡呆\/勧懲総て狂言にある事をしらず、癡呆\/狂言都て勧懲にある事をしらず。癡呆\/克勧懲を知て狂言を見ば、狂言即勧懲ならん。嗚呼狂言勧懲なるかな。   
 是も一個の癡呆的
                         遊戯堂主人


読みたい人のために補足すると―
芝居・劇場・勾欄はぜんぶ「しばゐ」のルビ
癡呆は「たはけ」
狂言・演劇は「きょうげん」まあ歌舞伎ってこと。野村萬斎のやつは関係ない。
総て・都ては「すべて」
克は「よく」
即は「すなわち」
癡呆的は「たわけもの」
ちょっと中国のむかしの白話小説(『三国志演義』とかに代表される)の用法も入ってるけど(勾欄とか的)、近代国語教育以前だと漢字と読みが一夫一婦制ぢゃないから、そんな変ぢゃない。(いまからは読めない「都て」は当時の常識)

△ こんなもん、まともに読んぢゃ失礼で、「狂言と勧懲についてとやかくいう風潮があって、うんざりしてた三馬はこうやっておちょくってんだなあ。なめてんなあ」がまともな感想。「たわけ」と「かんちょう」だけは「癡呆」「勧懲」以外の漢字をつかってないところから、三馬先生の腰の入りようがしれる、ってもんで(勧懲は音読みだけどね)。

要は国語の試験問題的に「この文章で作者の言いたいことはなんですか?」と聞かれりゃ「アホ!」の3文字でたりる、いっぱい漢字つかって、もっともらしい跋文のような162字(!)があって、中身は「アホ!」の3字。

この162-3=159字分のムダが江戸の戯作だ

ぢゃ、今日はこれくらいで。ヾ(◎皿◎)バイバイキーン

2009/11/21

ヨーロッパ旅行記1

投稿者 サトウ   11/21/2009 1 コメント

 見たこともない大金が懐に転がり込んでくることになったのは春のこと、それから初めての海外旅行に行こうと決めたのは七月の下旬。バイト先に相談すると快くクビを言い渡され、晴れて自由の身になった。九月一日に出発し、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、チェコ、オーストリア、イタリア、フランスの計八カ国をまわって十月一日に帰国。まる一ヶ月に渡る旅行中、何日にどこに行ったかぐらいの日記はつけていた。几帳面な性格ではないので、二、三日たってからまとめて記録することも多かった。だから正確さはそもそも信頼できない。その日記をもとに記憶を再構築し、ありありと外国の空気を読者の皆様にお伝えすることはできるだろうか?


 私は部屋の隅に転がっていた手帳を拾って、出発した日のページを開いてみた。


9/1 出発。

 9万→3-ポンド

   →6-ユーロ

 シンガポール空港。

 皿ウドンのようなの6.8ドル

 甘すぎるコーヒー2ドル。

 計8.8ドル(568.233円)


 この一風変わった七行の記述は、むろん前衛的な現代詩ではない。出発日は書いてある通り九月一日、二、三行目は九万円のうち三万円をポンド、六万円をユーロに両替したという意味だ。シンガポール航空に乗ったのでシンガポール経由、だから「シンガポール空港。」と書いてある。


 皿ウドンのようなの、というのは、そうだ、思い出してきた……


 成田からシンガポールまでの便。私は飛行機のなかできょろきょろしながら、たいへん焦っていた。もう乗り込んだのだから焦る必要などどこにもないはずなのだが、搭乗ゲートがあんなに遠いとは知らず(一番遠いゲートだった)、全力で走ってゲートに向かったので、もう着席したのにもかかわらず勢い余って「やべえよ、まじやべえ」と焦り続けていたのだ。ゲートにはまだ人の列があったので、結局のところ急ぐ必要などなかったらしいが、何しろ初めての海外旅行だ。乗り遅れたら夢のヨーロッパが水の泡。まったくの夢ならまだいいが、出発までに払った大金はすでに現実だ。汗まみれになりながらゲートを通り、いま思うと笑えるのだが機内に入る前に家族に電話までした(誰も出なかった。愛する家族が遠い異国の地へたった一人で旅立とうとしているのに)。民族衣装を着たキャビン・アテンダントに案内されて自分の席を見つけ、安心とはほど遠い気分のまま着席する。


 窓の外を見て、ああもう一ヶ月はこの国の地を踏めないのだ、と思うと寂しさを通り越して恐怖を感じる。隣には日本人らしき人が座ってきて、落ち着いた様子で新聞を読みはじめる。自分もさっきもらった新聞を開いてみるが、英語なのでほとんどわからない。ただ政権交代が大きく報道されているのをちらっと認識しただけで、依然として脳内は圧倒的な恐怖に占められている。誰も信じないだろうが、そのときの私を見たらピンクの首輪をつけた震えるチワワに見えたことだろう。ぷるぷる。


 ぷるぷるしながらも、本とか雑誌程度なら出しておいていいのか、それとも一切合切を全部荷物棚に入れなければならないのか気になって、隣の人に尋ねてみた。彼は隣にチワワが座っていることに対する驚きを巧みに隠しながら、「さあ、本ぐらい大丈夫なんじゃないですか」と答える。これがきっかけで、シンガポールまでの道のりが楽しいものになった。Kさんというこの人は自転車のウェアを作る会社をやめて十日ほど旅行するらしい。行き先はチューリヒで、スイス国境近くにあるドイツのなんとかというところに行って自転車の展示会を見るのだという。もともと個人的な旅行として行くつもりだったのだが、それを仕事仲間に話したことによって取材を頼まれ、結局旅行目的の半分以上は仕事になってしまった。


 という話を聞いているうちに飛行機は動き出し、ああ動き出したな、と思いつつも話は終わらない。ああ話が終わらないなあ、と思っているうちに、機首がぐっと持ち上がる感じがして、すでに我々は空中にいるのだった。そういうわけで、離陸の瞬間には、初めての海外旅行に旅立つ二十二歳の若者が経験するはずのドラマティックな感情は一切湧かなかった。


 しばらくすると飲み物が配られはじめたので、私はビールを頼む。さらにしばらく経つと機内食が出る。和食を頼んだらそばが出てきたが、食感はボソボソとしてうまくない。ハンバーグやパンもついてきた。おもしろいのは、そばつゆや飲み水など液体物のほとんどがゼリーや豆腐の容器みたいなものに入っていること。ぴりっとビニールのふたを剥がし、そこにそばを入れて食べるというのは変な気分だ。その必要性は理解できるが、すくなくとも料理をおいしく感じさせる容器ではない。食事を味わう精神的余裕がないことに感謝。Kさん曰く機内食は「エサみたいなもの」。たしかに長時間ただ座って時間をつぶしていると、エサを待っている家畜みたいな気分になる。


 Kさんとはシンガポールのチャンギ空港で別の飛行機に乗り継ぐまでの間、一緒に過ごした。私の日記に書かれていた「皿ウドンのようなの」「甘すぎるコーヒー」は、Kさんと入ったレストランで食べたものである(Kさんがおごってくれたにも関わらず、私は詳細に金額を記している。たぶん、これからの長い旅行期間、きっちりと「おこづかい帳」をつけようと思ったのだろう。しかし、使った金額を実際に記録したのは翌日までである)。Kさんはエキゾチックな見た目のカレーのようなものを頼んでいたが、私は無難に「皿ウドンみたいなやつ」にした。そしたら本当に皿ウドンにそっくりで何のおもしろみもなく、しかも少ないし、まあ安いからいいけれども、もうちょっと挑戦的なメニューにすればよかった。アイスコーヒーを頼んだら、なぜか砂糖とミルクが最初から入れてあってやたらに甘ったるい。ぶつぶつ不平をいいながらも、話し相手がいるのが嬉しくていろいろとしゃべる。Kさんも学生の頃に彼女(現在ではご夫人になっている)とヨーロッパを旅行したそうで、私の不安をことごとく解消してくれる。


 食後、次の便の搭乗ゲートの確認がてら、二人でうろうろする。チャンギ空港は非常に設備がよい。免税店や飲食店もたくさんあるし、休憩室はもちろんトランジット・ホテルまである。あちこちにベンチやソファがあって、自由に接続できるネットブースもあり、空港中を Wi-Fi の電波が飛んでいる。映画館やゲームセンターまであるらしい。私もKさんもMacをもっていたので、ネットサーフィンやメールチェックをしながらだらだら雑談して時間をつぶした。「ちょっと散歩してきます」と荷物の見張りを頼み、手ぶらで空港内をぶらぶら歩き回ったりできたのもKさんのおかげである。屋外に喫煙所を見つけたので、一服。シンガポールのじめじめした空気を肌に感じながらゆっくりと煙を吐き出すと、出発前の「大旅行だ!」という明らかに時代を錯誤した意気込みと緊張が、徐々に解けてくるのだった。

2009/11/18

日記ハジメ

投稿者 Chijun   11/18/2009 0 コメント
2009年11月17日

今日からブログを始めることになった。

わたしは小説家志望だった29才メス・フリーター

このブログには身辺雑記やら小説のメモ(ただし残骸)やらあるいは小説そのもの(ただし残骸)やら、

とにかくいろんな文章を載せていくことになると思う。

……そんなの見たがる人いるのかしら?

ーーー


以上は昨日書いた部分。そのままパソコンの前でぼーっとして、気づいたらそのまま寝てた。

1、2、3、4、5行。

たった5行書いてバテてしまったのだ。

そもそも書くことがないのではないか? わたしには。

そうか、だから小説家志望やってたのがしんどいのだ。

人生がしんどいのだ

でも今日しんどいのは、二日目だからということにしとこう。

でないとあまりに救いがないではないか。

ーーー


小説家、ですらなく、小説家志望をやめて以来、

わたしには夢がない。

とはいえ小説家志望をやっていた、という言い方もおかしい気がする。

それって何もやってないのと同じじゃない?

わたしの場合には大いにその通りで、気がついたらわたしには何もなかった。

29才フリーターで、しかも冴えない♀のわたしには、何もなかった。

将来の夢なんて、夜見る夢のなかにも見いだせない。

(メモ。黒人の神父が完全にラリッた眼をして見てるものはなに?)

(メモ。「白いクスリ」はあまり面白くなかったけど、ポニョのインタビューはやばかった)

それでも生きていくのに支障がない気がするのは気のせいだろうか

ーーー


「小説家志望だった♀の日記」というタグってどうなんだろう?

「だった」を付けてみたり、取ってみたり、一時間前からそればかり繰り返している。

「小説家志望」「女子」で売り出した方が売れるかしら

いやいやそんな小さなことで悩むよりは、いっそ女子高生やってる妹の観察日誌でもつけた方がいいのではないか。

(もちろん写メつきでサービスしたい☆)

……実家に寄生する堕ちた姉を許せ。

とはいえ幼い娘の裸を売る母も世にあまたいるという。

ただしそれはインターネットという平面上の出来事。わたしが妹を売ってもおかしくない、という理由にはなるまい。

姉-妹=29-16=13

つまりうちの親はところどころスキマはあるかもしれないが13年間ヤリ続けた!

おとうさんおかあさん、ブラヴォー!!

父は懸命に腰を振り続け、母も喜んでそれにつき合う。まさに「勤勉」のアレゴリーである。

少なくともわたしの中では。

しかしわたしがこの上なく凡庸な人間であることを考え合わせれば、同様に感じる人も少なくないはずである。

あーセックスしたくなってきた。

2009/11/15

もらいたばこ

投稿者 もらいタバコ   11/15/2009 0 コメント
普段は吸わないけど
飲んだ後だけ吸う人や
連れが吸ってるときだけ吸う人がいるように

気が向いたときだけ読む人や
他にすることがないときだけ読む人が
居てもいい

休憩の供にでも暇つぶしにでもして
1本の煙草が会話のきっかけになるように
僕らの小話をネタに何かお話聞かせてもらえたら
なんて思ってます


ここではたくさんの人が書いてます。「たくさん」は言いすぎかもしれませんね。
5人の小たくさん(子沢山ではない)は増えて、ふえて「たくさん」になるかもしれません。
そう、「あたしもここで書きたい」と思ったらメールください。
「仕事を依頼したい」そう思ってもまた気軽にどうぞ。

givemecigarette@gmail.com

「ただ話したいだけ」「ちょっとこれはヘンじゃないか」「聞きたいことがある」……
アドレスはひとつですが、どんな関わり方でもかまいません。
すべての方にここは開かれてます。
あたり前ですが(・ω・)
 

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