箸が折れた。
それだけでも何だか良くない事が起こりそうな気がするけれど、残念ながらそれは、そこらに転がっているような普通の箸なんかではない。この夏、学生時代最後の夏の、屋久島ひとり旅で、たったひとつの自分へのお土産として連れ帰り、それ以来マイ箸として使ってきた、屋久杉の箸。その箸が、折れた。
大学図書館でやっかいな授業の予習を終え、水筒の水を一口。その水筒をバッグに戻したところで、「パキッ」という乾いた小さな音がした。嫌な予感を、ただの予感で終わらせてしまおうと、この箸専用の藍楽彩の青い箸袋を取り出し、そっと引き抜く。
箸の先2cm辺りが、繊維数筋で繋がった、無惨な姿が、そこに現れた。
あぁ、楽しかった旅の思い出が、旅先で出会った新たな友人達の顔が、勉強で疲れきったはずの脳裏に、鮮明に、一瞬間に、浮かび上がる。仄かな恋心を抱いたまっつん。遠くスペインからやって来たナッチョ。みんなで入った月明かりの海中温泉。孤独な老人のようにみえた縄文杉――
暫しの放心の後、自分を奮いたせるために、言い聞かせる。こんなにも鮮やかに思い出せるほど、あの夏の思い出は、この胸にある。たとえ箸が折れたとしても、それはただ、箸が折れたという、ただそれだけのことではないか。
大袈裟な言葉が、大袈裟な調子で、大袈裟に響く。
いつまでもここで感傷に浸っているわけにはいかない。やらなければいけないことが手帳にぎっしり書かれている。明日も早い。とにかく家に帰ろう。そしてぬるま湯で体をじっくり暖めながら、この箸をどうするか、考えてみよう。
そう決めて立ち上がり、ひんやりとした秋の夜、余計なことを考えないように、無心に駅までの道を歩いた。
1 コメント on "おれる"
つないでつないで使い込んだらどんどん思い出が詰まっていくよ~!
げんき
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