あ、1本いいっすか?

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2010/01/05

明けましておめでとうございます

投稿者 サトウ   1/05/2010 1 コメント

 年末には新年の挨拶用にこんなものを書いていた。


明けましておめでとうございます。


 年末年始はいつものごとく実家に帰って何人かの友人知人に会い、忘年会だといっては飲んだくれ、新年会だといっては飲んだくれた。いつも年明けの授業の準備をしようと思って何冊かの本を持っていくのだが、それらの本はたいてい読まれずに、部屋の隅に転がったまま新年を迎える(今回もそうなった)。大晦日だけは(これもいつもどおり)実家でだらだらとテレビを眺めながら過ごした。とくに熱心に見ているわけではないのだが、居間に浮かれたテレビの音が流れていると年末だなあ、という気分になってくるから、まあいい。元日は親戚のうちにいって挨拶。さすがにもうお年玉はもらえないが、貧乏学生の身分を考慮してくれるのか、いくらか「お小遣い」をもらう(同じことか)。ありがたい。今年は四日には東京に戻らなければならなかったので、三日に始発で出発し、十一時間鈍行列車の過酷な旅の後帰京して、浮かれ騒ぎの余韻に浸っているところである。


 というのは全部嘘で、これを書いているのは12月26日である。しかし、年が明けて東京に戻ったころにはすべてが本当になっているだろうと思う。明日は朝五時の始発で東北へ向かう。そのあとちょっと友達と飲んで、翌日も友人とどこかへドライブへ行くことになっている。ボードリヤールの『象徴交換と死』をバッグに入れたが、おそらく今年も読みきれない。彼のいう、メディアイメージの氾濫によって現実に先立ってシミュラークルが形成され、現実のほうがそれを再生産しているというのならば、この年末年始のワンパターンな過ごし方ももはや起源をもたないハイパーリアルではないか(たぶんちがうけど)。


 と書きなぐった後に居酒屋に逃げこみ、帰省して狂乱の年末年始を過ごしたのち、更新日がやってきたわけだが(混乱したら申し訳ないのだが、このブログは即興で更新しているわけではないので、書き上がってから実際に記事がアップされる時点までのさまざまな「わたし」が介在しているのである)、果たして「シミュレーション」どおりの年末年始を過ごして(今度は本当に)東京に戻ってきた。


 とはいえもちろん、いつもと違うこともある。高校のクラス会がないかわりに部活の同窓会が開催されたり(みんな立派になっていた)、中学の飲み会が若干荒れたり、大晦日から元日にかけて大雪が降ったり、といった細部はしばらくの間「2009年から2010年の年末年始の記憶」として残るはずだ。このような細部が「今年限りの特別なこと」として認識されるのは、逆説的なことに毎年の年末年始の過ごし方が「似ている」からである。例えば「記号のAとワインの瓶の違いを説明しろ」と言われれば「えーっと、とにかくどう見ても違うじゃん。もしかしてお前バカ?」としか言いようがないが、メガネと水中メガネの違いであれば「目に装着する二つの透明なレンズ」という共通項を通して差異がはっきりと認識される(メガネが見当たらないときに「しかたがないから今日はいつもプールで使っている度入りゴーグルをかけて仕事に行こう」と判断できる方はそう多くないはずである)。


 というわけで(?)、本年も「もらいたばこ」をよろしくお願いいたします。

 

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