あ、1本いいっすか?

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2010/06/30

ウェッサイトーキョーで踊る

投稿者 じん   6/30/2010 0 コメント
 6月26日(土)、八王子駅前のダイニングカフェ/バー、MILLALCOで行われたDJイベント”dish vol.02”に参加。このイベント、19:00オープン-23:30クローズで夜に弱くてクラブに遊びに行くのを断念しているようなクラブ音楽好きには嬉しいイベントである。
 八王子といえば、ガラの悪い不良の街というイメージを持っている人も多いだろう。実際、八王子の有名クラブ「ZONE」なんかは、ガチガチのウェッサイ系HIP HOPメインで、かなり怖いらしい(dish主催者さん談)。地下に降りていく階段だけでも十分にいかつい雰囲気で筆者には敷居が高い。では、”dish”はどうかといえば、オサレなJAZZ系メイン、ソファーでゆったり酒を飲むもよし、フロアで汗を流すもよしという、「カフェとクラブの融合」を図った「クラブ初心者にもやさしい」イベントとなっている。
 筆者が参加したvol.02では、ゲストのR&Bボーカルユニット”newness”がのどを壊しライブをキャンセルしたことも影響して、チャージなし、MILLALCOの通常営業+DJといったスタイル。そのため、フロアは特に設けられず、イベントスタッフとその周辺の数人がDJブースの前のちょっとした空きスペースで体を揺らしているような状況で、踊るつもりで行った筆者ははじめ肩透かしを食らったのだが、MILLALCOのひき肉チャーハンとジャーク、そしてテキーラ!も手伝って、一人カウンターで体を揺らすだけでもかなり楽しめた。”Remember The Time”で始まったMJタイムは、WOWOWの特集をみのがした筆者には非常に嬉しかった。そんな姿が目立ったのか、イベントスタッフも気さくに声をかけてくれた。また、突然の”Happy Birthday To You”(スカ風アレンジ)でお客さんの誕生日を祝うサプライズなんかは、まさにダイニングカフェならではの演出。
 今回は出演者のキャンセルなど通常とは違った部分もあり、「カフェとクラブの融合」を謳うにはクラブ要素が少なかったけれど、その片鱗は感じられるイベントだった。なにより、八王子という「ウェッサイ」開催で、しかも終電前に帰れるというレアなイベント、今後に期待したい。

2010/06/26

博奕がしたくて生姜がない

投稿者 福田快活   6/26/2010 0 コメント
思えば中学・高校生私は博奕が大好きだった。といってももちろん阿佐田哲也みたいに、玄人(バイニン)の世界に単身身を潜らせるハイティーン、妖怪変化・魑魅魍魎・鵺・ひょっとこ・ぬらりひょんなしわの数だけ年季のいった玄人に揉まれ、叩かれ、斬りつけて頭角を現してく、通り名は「坊や哲」なんて凄まじいハナシぢゃあない。教室の隅とかど真ん中で昼休み、十分休憩、放課後(そういや授業中もあった。学級崩壊)に友達と打つだけ。ベルが鳴るのをいまかいまかと、鳴おわる前に心とカラダ弾かれたメンツがひとつ机に集まる。「やるか」。チンチロリン、おいちょかぶ、ポーカー、麻雀。だいたいがこんなとこだった。イヤ、大富豪でも賭けた。とりあえず何でも賭けたい年頃だった。ハイティーン。そんな「年頃」があるのか知らないけど、友達とバス停で待ってて次くるのが男か女か。そんな賭けもした。漫画みたいに「来たのはおかま」なんてうまくオチはつかない。

いちばん好きだったのはチンチロリン。サイコロを三つ振って、その目を競うだけ。詳しくはこれでもみてくれ。アゝ、一読郷愁が薫る……「アラシ」「シゴロ」「ヒフミ」。教室の、木の臭いが甦ってくる。机の香りだ。。。。あ、ごめん。イッちゃってた☆メンゴ、メンゴ。

なんで好きだったか?金が動くから。迅速に、おおきく。張りを大きくして、乾坤一擲・捲土重来をねらう。それが当たろうが外れようが、両手に賽を鳴らして、丼に投じるまでの連続したいくつもの一瞬間は、絶対的な緊張と期待と恐怖と希望に満ち満ちて、全身の細胞を感じとれる、ふつふつと「生」が漲るこの充実感、アゝ何テ言エバイインダロウ!書いてるいまも心臓の鼓動が速くなってきた!それで当たって勝ったときにゃあ、もう……!

森巣博はこう言う

わたしはハウスがバストするように祈った。/神の存在など微塵も信じていないのだが、それでもこの時は祈った。/人はカシノで夢を見る。人はカシノで祈る。/そう。夢を見ること、祈ること。この(多分)人間だけが持つ特権を、集中し凝縮して行使できる場として、わたしはカシノを好むのである。

あるいはこうも言う

勝利すれば、感情などが入り込む余地のない、まっさらな快楽が得られる。大賭金での勝利が連続すれば、まっさらな快楽は、いつの間にか光り輝く全能感に変化する。そこには、懼れも怯えも、存在しなかった。すべてが可能だ。行く手を阻むものなどなにもない。不思議と未来が見透かせた。次のカードが読める。なぜなら、自分は神に変身していたのだから。


祈りたくて、夢が見たくて、果てには全能感を体験してしまったから、人は博奕を打つ。おれは高校までの仲間内のしょぼい博奕をやり切って、もういいやと思った。向いてないことがわかった。おれはカモになるだけだ。そもそも全能感体験するほどデキナイし、ただ祈りたくてやるやつに、「墜ちながら夢をみる」以外の結末が残ってるはずもない。全能感を体験しながら、淫することなく、それこそ言語道断の自己管理能力で自己を律しながら博奕を打ち続けるのがプロ。おれはそういう博奕を打たなかった。麻雀でも派手な、人を魅せる打ち方が好きだった。それを完遂する☆のもとにぼくは生まれてない。

て悟ったつもりだったのが、森巣博『越境者たち』を読むとカシノにいきたくなるから困ったもんだ。

こちらにある通りで、森巣博の蘊蓄といったら怒られるか、社会の裏話、いわゆる思想的なところも面白い。もちろんモノガタリの部分になるヒロシ、マイキー、ウルフのハナシもおもしろい。カシノに淫すること、そこにある祈り、夢、全能感、それこそが「生」だ!生きてるってことだ!リア充だ!リア充になりたけりゃ、カノジョとかつくる前にマカオにいけ!でもその「生きてる」人間は境を越えてしまった人間でもある。生存し続けたけりゃ、もどってくる手段を講じないといけない。じゃなきゃ淫してドン。おしまい。そんなカシノ疑似体験ができる。博奕、カシノに興味はあるけど、身を持ち崩すのがこわい人はおすすめ。とりあえず『越境者たち』を一読、疑似体験でお茶にごしてください。おれみたいにかえって熱が昂じるかもしれないけど(^^)/

2010/06/21

対談のおもしろさ 〜高橋源一郎と東浩紀〜

投稿者 Chijun   6/21/2010 0 コメント
6/12日青山ブックセンターにて,高橋源一郎と東浩紀の対談を聞いた。ニコ生の中継も入っていたので,それを通じて見た人もいるかも知れない。開始直後ニコ生の視聴者数を気にした東浩紀がスタッフに聞いたところ,二千数百人といっていた気がする。チケット代を払って会場まで来た人たちと,無料でインターネットを通じて聞く人たちの公平を心配した高橋源一郎は,来場者全員に,サイン入りの書き下ろし文章を用意してくれていた。

以前いくつかの対談がつまらなかったとこのブログに書いたことがあったが,二人ともおちゃらけつつ軽いノリで入った前半,ほとんど高橋源一郎一人が喋っていた中盤と続くにつれ,「ああ,今回も今までと同じで,あまり面白くないのかなあ」と飽き始めていたのだけど,ずっと興味あるのかないのか分からないような感じて高橋源一郎の話をほとんど頷きもせずに聞いていた東浩紀が,高橋源一郎の粘り強い語りかけよって,わずかに頷いたり,ぽつりぽつりと喋り出すようになり,徐々に相手の伝えんとする熱意に巻き込まれ,ついには大きな声といつもの早口でまくしたてるような調子にまでなったのだった。

わたしは,納得できないことには安易に頷かない(それは無関心と紙一重の,対談としては危険な態度であろう)というシンプルだが簡単ではない姿勢を貫いていた東浩紀が,高橋源一郎の「ぼくのはなしていることはめのまえにいるあなたにかならずつたわるはずだ」という素朴といってもよい語りかけをゆっくりと理解し出し,触発され,新たにその場で生まれた考えをだんだん勢いに乗って今度は相手に返したのだ,と,ステージ上での一連の過程を理解した。

要するに,わたしは理想的な「対談」を経験したのだ,ということを書きたかったわけです。

2010/06/12

やりたいのはその程度のこと―大学5年生の声明文

投稿者 じん   6/12/2010 0 コメント
 このテスト期間をうまく乗り切れば、5年間通った大学を卒業してシャカイに出て、カイシャでハタラいてカネをカセいでメシをクウ。キュウジツにはバンドやったりスキナコトをする。今あるのは自分にあったやりたい好きな仕事をして充実した日々を過ごしたい、みたいなことじゃなくて、知らないところで知らない生活をしてみたいって欲求。それが2年前の夏初めての一人旅行でカナダに行ったこととか、去年の夏一人で初めて屋久島に行ったこととか、近くの自然公園でプチ山登りをすることと同じように見えてる。知らないものの中に知ってるものを見つけたり、知ってるものが違って見えたり、そういうのをやってみたいだけ。
 甘いとか何とか、大人とか、まじめな若者は思うのかもしれないけど、自分が見たこと聞いたことでしか物事はかれないんだから、どーでもいいのね。社会科見学気分で一つ、知らないところを覗いてみたい。それだけ。
 社会科見学って、興味ないものをただぼーっと見ててもめんどくさいだけで、何が楽しいって、いい壁新聞作るためのネタ探し。そのために真剣に見たり聞いたり、ちょっとお仕事体験してみたりするのがいいんだよ。で、自信満々で、どーよ、オレの壁新聞、いいだろ、よく見てんだろ、深いだろって廊下に貼るの。
 それで実際周りにもてはやされたり、他の奴がやたらほめられたりすんの。で、壁新聞なら、意地張ってればいいんだろうけど、シャカイってのはそーじゃないって、そういうことになってるよね。ここんトコが問題。まあ、ダメならダメで、遊び方考えるしかないよね。学校と同じで、簡単にやめるわけにはいかないだろうしさ。

2010/06/07

続・「ロシア構成主義のまなざし」と「かっこいい」

投稿者 福田快活   6/07/2010 0 コメント
ちょっとバタバタしてて、今回は手短に「対象が男子そのものだとなんで男女の「かっこいい」に反目がうまれるの」についてだけ書きます。「申し訳ありません」だけど、よろしくお願いしますm(_ _)mさてこの、なんで反目が生まれるかだけど、「かっこいい」=「オトコだね~」って考えると見通しがよくなる。男子にとっての「オトコ」と女子にとっての「オトコ」がちがうからだね。

男子にとって「オトコ」は男である自分自身と切り離しては考えられない。頭のどっかで「オトコ」と自分が地続きなのを意識してる、てかそれは切り離したくてもできない。たとえば健さん(←9/12の記事)的な黙してかたらず、ただ己が勤めを果たし、ひとり寂しげな背中が去っていく、だけの「オトコ」があったとして、そうなりたい「憧れ」とか「オトコだ!」と思う「ときめき」とかなくっても、世間一般ではそういうのも「オトコ」として称揚されてて、「オトコ」の一員であるおれもそうあれ、という無言の要請にさらされている。それが男子にとっての「オトコ」であり「かっこいい」だ。「憧れ」「ときめき」のところは個々人の趣味志向に関わるけど、世間一般で「オトコ」とされてるものと絶えず闘っている、そうしてはじめて男子の「かっこいい」はつくられる。もちろん女子にそんな要請はない。女子にとっての「オトコ」はいいと思う異性に過ぎない。女子本人と関係がない、という点で男子の「ジョシ=かわいい」と同じ。

自分がどうあるのか、どうありたいか、どうあるべきかと関わってくる男子の「かっこいい」と趣味志向としてある女子の「かっこいい」では「かっこいい」と思えるためのメカニズムが全然ちがうから、自ずとかわってくる。あえてとーっても単純に言っちゃうと男子はより雰囲気・風格みたいなものに力点をおいて「かっこいい」を感じるし、女子はより造型に力点をおいて「かっこいい」を感じる。自分と関係ないんだから、外見重視で「かっこいい」を判断するのは当然だね。男子の「かわいい」なんか外見以外なーーんにも見てないし(笑

2010/06/03

iPad購入!~電子の本と紙の本(3)

投稿者 Chijun   6/03/2010 1 コメント
iPad購入しました!
という報告はネット界隈あちこちで見かけるけど,わたしもその一人です。
優れたデバイスとは何か?
などと言ってしまうと大げさですが,わたしが大切にしたいのは,「身体の延長」であるかのように,ほとんど無意識のうちに,自在に操れるということ。
その点,たとえば紙の本というのは実に優れた「デバイス」です。ほとんど重さも意識させないし,折り曲げたり,たわめたり,柔軟にかたちを変えることもできる。それにパソコンなどに特有の,読み込みによる遅延もない。
それに対して,いわゆるデジタル・デバイスはどうか? デスクトップ・パソコンはもちろんのこと,ノートパソコンでも,重いし,固くてかたち変わらないし,眼との距離感は遠いし,あまり褒められたものではありません。わたしはiPhoneも使っていますが,画面の小ささや,読み込みによる遅延にはずっと不満を感じ続けている。
そこで,iPadの登場です。iBooksをはじめ様々な電子書籍ビューアが早くも手に入るようになっており,レイアウトの美しさ,読みやすさへの配慮,コンテンツの充実など,しのぎを削っています。しかもすべての動作において,読み込みは極めて早い。あとわたしが特にプッシュしたいのは,「眼との距離感の近さ」です。インターネットで文章を読むときに,パソコンの固定位置というのがどうしても遠く感じられません? 自由に手に持って位置を変え, たとえば本を読むように自在に,自分の身体の延長を扱うようにして,コンテンツを楽しめる。それがわたしの理想の「デバイス」です。
iPadが登場し,そんなわたしの理想へとまた一歩近づいたように思います。ただ,これけっこう重いんですよね…。もちろんこれだけの高機能でパソコンなんかに比べたらずっと軽いのですが,紙の本と比べてしまうとちょっとがっかり。
紙の本が長い年月をかけて熟成された「デバイス」へと成長したように,デジタル・デバイスもゆくゆくは,今よりずっと大きな自由を手に入れていてくれたら,と思います。
みなさんの理想の「デバイス」は,どんなデバイスですか?
 

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