あ、1本いいっすか?

Next Writer:Chijun

up-date: Sun, 18, Mar.


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2010/10/27

じいさんとコンビニ

投稿者 福田快活   10/27/2010 0 コメント
おじいちゃんがいた。杖に体重かけてプルプル震えながら、その小刻みなビートがロックなじいさん、見かけたのはコンビニのレジ。ampm。どうも言い合いをしてるんじゃないか、と気づいた瞬間、耳のボリュームがじいさんのやり取りに焦点されて、ノイズが遠ざかってく。「なんかおもくろいことであるんじゃないか」の期待に、胸がワクワク、体をレジの近くへとずらしてく。おじいちゃんはカレーと線香のまじった臭いがした。ククレカレーだ。
「塩こんぶはないのか?」「さきほどから言ってますとおり、そこにあるものだけでして」応答する店員は名札に「ガナシュ」何人だろ?顔立ちから察するには西南アジアっぽい。大変だな、外国にきてヘンなじいさんの応対か。「これは塩こんぶじゃない!てなんどいえばわかるんだ。おまえは何を考えてるんだ?そもそもお前は日本人なのか?ちょっと日焼けしすぎじゃないか」「いえ違います。でもそれはまったく関係ない思います」「日本人にしか塩こんぶはわからん。日本人をだせ、日本人。ここは日本だ!おまえは日焼けしすぎだ」「ですから、しおこぶはありません。申し訳ありません」「おまえじゃ話にならん。店長だせ!店長!」「てんちょうは私です。申し訳ありません」「おまえが店長!なにをいっとるんだ。店長は日本人じゃないといけないんだ。店長が日本人じゃないと日本は日本じゃない!おまえは日本人か?」ここが正念場だ。ガナシュの覚悟が全身からつたわる。間違ってないぜ、心でエールする。「はい、日本人です。。。。あ、沖縄出身です」あ、なんとか逃げたな。と思ったそのとき、杖を両手でトン!と体の正面についたじいさんは「そうか。ならよろしい。しっかり職務に励むように!しかしお前は日焼けしすぎだ」と、店内に不可思議な弛緩を残して立ち去った。おれとガナシュは顔を見合わせた。聞くと毎度の常連で、しかもその店舗の土地所有者らしい。「ほんとうの店長」にそう紹介された、らしいから本当だろう。よく顔を出しては、似たような珍問答をくりかえし、それも手を変え品をかえ、今日は塩こんぶだったが、この前はビーフストロガノフ、その前は美空ひばり、なんでもありの世界の住人。会話とも呼べない会話を数分して去っていく。とくに迷惑がかかるのでもないからぼくはかまわない、とガナシュは言う。毎回同じことを聞くのであれば、世界が止まってループしてるんだ、とわかりやすいが、このじいさんは謎。じいさんの世界がどうなってるのかは誰にもわからない。

2010/10/19

カンナとカカシ(5)

投稿者 Chijun   10/19/2010 0 コメント
――こんなとき、女の子にはどうしてあげたらいいんだろう?
 なでながら、カカシはあれやこれやと考えたり、あっちこっちきょろきょろ見回したりしていた。
 この部屋もおなじだった。でんき電灯もないのに、ずいぶん明るい。かべはいちめん真っ白で、ぴかぴか光っているみたい。ただまんなかで、ちいさなカンナがうずくまっているだけ。ここには……ここにも、なにもない。ドアも……ドアがない!? 入ってきたはずのドアが、すっかり消えてなくなっている。
「おててがおるすになってるよ?」
 気づくと、カンナが顔を上げてカカシをじっと見つめている。カカシはおにいさんなのに、まるであわててしまってね。
「ドアが……ドアがないんだ! さっきまでそこにあったのに。じゃなきゃぼくがここにいるわけないじゃないか!?」
「ドア? カカシはなーんにも知らないんだね」カンナはぴょんっと立ち上がって、スカートをぱたぱたした。「いいわ、カンナが教えてあげる!」
 そういうとちいさなカンナはカカシの手をぎゅっとにぎり、かべにむかって走りだした。
――あぶない!
 カカシの頭を、すっころんだジェントルマンの姿がよぎる。白いかべがどんどん迫って来て、カカシの目はまっしろでいっぱいになる。思わず目を閉じたけど、それでもカンナは止まらなくて、どうやら今はかべのなかにいるみたいだ。



 目をあけると、さっきのろうかにもどっていた。カカシはためしにじぶんの両手を閉じたり開いたりしてみたけど、なんともない。
「ほらね。だからいったでしょ!」カンナはほこらしげに笑っている。「カンナえらい?」
「ああ、とってもおりこうさんだね」
「じゃあ、ごほうびちょうだい!」
……なにが欲しいの?」

「楽園のおいしい木の実が食べたいの」

……わかった。いっしょに採りにいってあげるよ」
「それはできないわ」
「え?」
「カンナはね、じぶんのお部屋でおるすばんしてなきゃいけないの。ひとりぼっちだけど、いいこにしてるの」
「じゃあ……」カカシはここにきたばかりでちょっと不安だったけど、勇気を出していった。今日はカンナの誕生日でもあるのだから。「場所を教えてもらえるかな?」カンナはいったい何歳になったのだろう? じぶんの半分くらいに見える。
「いいわ。ろうかを右側にまっすぐあるいて、エレベーターにのるの。いちばん上の『30』を押して、ついたらまたまっすぐあるく。そしてまたエレベーターにのる。いちばん上の『30』を押して、ついたらまたまっすぐあるく。そしてまたエレベーターにのる。いちばん上の『30』を押して、ついたらまたまっすぐあるく。これを三十三回くりかえすの。そうして最後は、『13』を押すのよ。カカシがあるく道のりは、合計で七百三十歩だわ」

2010/10/09

ことばで世界を描くことについて (2)

投稿者 じん   10/09/2010 1 コメント
日本語の主人公は他人、英語の主人公は自分という考え方をするようになったそもそものはじまりは、日本語の「わたしは」「ぼくは」と、英語の”I”が本当に同じ意味なのかどうかという疑問を持ったことにあります。その疑問に応えてくれそうな考え方が、森有正の「汝の汝」という考え方でした。

「日本人」においては、「汝」に対立するのは「我」ではないということ、対立するものも亦相手にとっての「汝」なのだ、ということである。…親子の場合をとってみると、親を「汝」として取ると、子が「我」であるのは自明のことのように思われる。しかしそれはそうではない。子は自分の中に存在の根拠を持つ「我」ではなく、当面「汝」である親の「汝」として自分を経験しているのである。

極端に言うと、相手がいて初めて自分が存在するという考え方です。他人に認識されなければ自分は存在しない。自分というのは常に他人に見られている。私が持っているTシャツに描いてある言葉を借りるなら、”What is the human being if we exist alone on the Earh?”です。

私は日本語の「わたし」に代表されることば(自称詞)はこの「汝の汝」を示しているのだと考えます。相手から見える自分、つまり相手が自分に対して抱いている(と思われる)人物像を「わたし」は示しているのではないかということです。

手始めに、自称詞の使い分けについて考えてみましょう。自称詞はたくさんありますが、大きく3つのグループに分けられます。「わたし / ぼく」、「先生 / 父さん」、「さっちゃん / さちこ」の3つです。

「先生 / 父さん」は、生徒が「先生」と、子供が「父さん」と呼ぶから、「さっちゃん」は小さいから、ではなく、パパやママが「さっちゃん」と呼ぶから、自分をそう呼ぶのだと考えれば、「汝の汝」はあながち間違いではない気もしてきます。

最後に残った「わたし / ぼく」系はどうでしょう。「私」「僕」など本来の意味は自称詞で用いられるときは薄れて意識されません。用いられる場面を考えてみる方がよさそうです。かたい場所ではこれ、くだけた場面ではこれ、と制約がある気がしませんか。また「ぼく」は優等生っぽく見える。もっと強そうでカッコよく見られたいから「おれ」を使うという人もいるかもしれません。他の2つのグループとは意味の出所が異なりますが、その場にふさわしい人間として見られるためには適切なことばづかいが必要になるという点では、これも相手からどう見えるかを反映した結果と考えられます。

自分をどう呼ぶかという問題も、実は自分より相手の存在のほうが重要で、相手の存在を考慮しなければ自分をどう呼ぶかを決めることができないのです。

次回ももう少し日本語で自分を呼ぶことについて考えます。今回は単語レベルでしたが、次回は文レベルのお話になる予定です。

2010/10/02

「リアル」ってなに?

投稿者 福田快活   10/02/2010 0 コメント
フリーター、風俗嬢、タクシーの運ちゃん、出会いカフェの子、読モ、イベサー代表、みんな『闇金ウシジマくん』の登場人物、奴隷くん(債務者)たちだ。ってネットで検索したら『ウシジマくん』ドラマになんのか!?どれどれ。。。んー、どーでーもいいな。はい、続き→まあ、さっきゆったような肩書きをもつ人がいる。彼らの底では「自分の居場所が欲しい」とか「自信が欲しい」、「誰も賴りにならないからお金が欲しい」というとても素直でせつない欲望がとぐろ巻いてる。『ウシジマくん』はリアルだ!ていわれる。格差、郊外化する社会の若者の現実を描いてる、ていわれる。プロレタリア文学的な、社会の現実をえぐる、的な賞賛の仕方。うん、それは間違ってない。でもマスメディアで『ウシジマくん』をとりあげる人は若者でもないし、郊外に住んでないし、格差社会で苦しんでもいない人の方が多いだろう。「リアル」ってあんた、しってんの?自分の生活とちがうとこをなんで「リアル」っていえるの?でも、そう感じる――若者のリアルだ、て。それはキャラクターのかかえてる思い、悩みが「素直でせつない」誰でもが、胸に抱いたことのある欲望、だから。その欲望が「リアル」だから、『ウシジマくん』には「リアル」を感じる。。ひいては『ウシジマくん』の描く、町田・大宮的都市の描写、格差・郊外にも「リアル」感が増す。町田・大宮的都市とは無関係に生活してて、闇金のお世話になってことのないおれも「リアル」だと感じる。苦しい生活、債鬼に追われる生活こそが「リアル」だ!お金持ってて左内輪でのほほん、ちやほやは「リアル」じゃない!という話ではない。もちろん人はそういう苦しさこそが「リアル!」て思いがちではあるんだけど。
 

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