2009/12/27

言葉は伝わらない

投稿者 じん   12/27/2009
 相手に自分の気持ちを伝える。それがとても難しいことだというのは、ごく素朴な印象である。どんなに言 葉を選んでも、どんなに言葉を尽くしても、自分の気持ちを全て表すには何かが足りないし、相手にまるごと理解してもらうにも、やっぱり何かが足りない。相 手に自分の気持ちが伝わるなんて奇跡みたいなものだ、と感じている人は多いはず。

相手に自分の気持ちが伝わるなんてことは、確かに、奇跡としか言いようが無いことで、それは疑いようがない。でも、それは、自分の気持ちを言葉で言い表すことが難しいからでも、相手が自分の言葉を100%理解することがめったにないからでもない。

言葉は、伝わらない。

それが本当のところだと思う。少なくとも、時枝誠記はそう答えそうだ。  彼は『国語学原論』という、いかにもなタイトルの本を、正編、続篇と世に送り出した。今から60年近く前のことである。「原論」というだけあって、それま での国語学、つまり日本語学を一蹴し、新たなスタンダードを生み出そうという、力強い著作になっている。その結果、言語学と呼ぶよりはむしろコミュニケー ションや表現一般についての論考として興味深いものとなった。その中から特に、「言葉は伝わらない」という、ちょっとショッキングな考え方について、考え てみたい。

正編、続篇とあると、続編はどうしてもおまけのように見えてしまうけれど、この本の場合はむしろ続篇にこそ、時枝の言いたい ことが詰まっている。そこに書かれているのは、頭の中にある道具として堅苦しい言葉の姿ではなくて、言葉を用いた生活とはどのようなものか、ということ。 それは、生きた人間がいる、血の通った世界である。

ある人が話をする。これは必ず誰かに自分の気持ちを理解してもらい、自分の望みを実 現するためである。自分を含めて、誰にも分からなくても良い言葉は存在しない。これは多くの人にとって飲み込みやすいことだろう。言葉がコミュニケーションのための道具であることは、今の時代、改めて断っておく必要もない。

ただ、言葉で思いを伝えるとはどういうことなのか、という辺りに なると、これはなかなか難しい問題となる。多くの人は、自分の頭なり心なりにある思いを、言葉という形にのせて、あるいは言葉という箱に入れて、相手に届 けることが、伝えるということだと考えているのではないか。

けれども、少し考えてみてほしい。ある事柄を口に出すとき、実際に、物理的 現象として存在するのは、音という空気の震えだけである。体の特定の部分を使って、ある特定のパターンで空気を震わせる。その震えが別の人の耳の中、鼓膜 を震わせて、その震えを脳みそが感知する。その世界に思いという神秘的なものが入る余地はない。

「伝わる」という現象は、話を聞いた人が、感じた振動から、一人で勝手にある事柄を思い浮かべることである。それがたまたま話をした人が思い浮かべたことと似通っていることが「伝わる」ということの正体である。

この一人で勝手にというのが、言葉が通じることが奇跡である由縁となる。あなたがどんなに知恵を絞って分かりやすい話をしたとしても、それは結局、空気の 震えとしてしか外に現れない。もちろん、言葉の意味の大枠はなんとなく共有されているけれど、その枠の中をどんな風に肉付けするかは、受け取った側に任さ れている。

例えば、「りんご」という言葉をあなたが言ったとして、「りんご」が何かを相手が知っていたとしても、どんなりんごを思い浮 かべるかは人それぞれである。「りんご」と言った人は、真っ赤で、小さなへたがついた、つやつやしたおいしそうなりんごのことを言ったのだとしても、それ を聞いた人は樹にぶら下がった青りんごをおもい浮かべるかもしれない。「真っ赤で、小さなへたがついた、つやつやしたおいしそうなりんご」といったとして も、赤といってもいろいろな赤があるし、実物を指差してこの色だ、と言ったとしても、もっと赤いりんごを見たことがある人からすれば、それが「真っ赤なり んご」とは思えないかもしれない。

しかも、2人が思い浮かべたものが同じなのか、似ているのか、まったく違うのかを知る方法がない。もし「伝わった」とお互いが思っていたとすれば、それは共同幻想みたいなものだ。

そんな風に、言葉を聞いた人には、勝手気ままに想像する余地が残されている。だから、もしあなたの言ったことと、ほんの少しでも近い事柄を頭の中に思い浮 かべてくれる人が居たとしたら、それは、そのことだけで、奇跡的なことである。同時に2人の人が、全く同じ夢を見ているのが分かったときと同じぐらいの幸 福感を味わってもおかしくはない。

言葉は伝わらない。これはある意味悲しいことなのかもしれない。けれど、時に偶然の一致が一生懸命努力した結果が報われたときよりもうれしいことがあるように、言葉が伝わらないからこそ、「伝わる」ことは、幸せなことでもある。

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