銀座におばあさんがたってる。
プラモデルのよう。つきだした上半身を、その重みを杖にかけて、見つめれば、
先にあるビル群のさらに先を透視できるとでも思ってるの?ジーッとみてる。
どっからどう見ても徘徊老人、徘徊はもうやめてるか、静止老人。
三越、松屋、シャネル、ブルガリ、カルティエ、銀座の中央通りから少しなか
に入った昔ながらの店が、老舗だろう、ン十年間ずっと動かずに客を呑んでは
吐いてきた強靱な一角。
お昼に満足した倦怠感に、成熟の静けさある街の雰囲気がとけ込んできて、
ギョッとしたのも束の間、ケンタッキー人形みたいなおばあさん人形があった
ら随分ステキぢゃないか。ゆるやかに流れるこのあたりの、時がさらにとまっ
たようで。でも人形ぢゃあ「止まった感」はないナ生身であるからこその、
てそんなカッテな妄想はいいんだ。おばあさん家帰ろうよ。子供さん、心配
してるよ?してないの?
角を曲がるまえにふり返っても、おばあさんはそのままだった。指ひとつ
動いてなかった。
気になって足がむいた翌日は、アスファルトで舗装された通りと変わらない
暖簾とちらほら通りすぎるリーマンに太陽がそそいでた。
暑い日はおばあさんも家で休んでんのかな?おばあさんは二度と見なかった。
いつも気配はするんだが。
2009/12/11
銀座カンカン通り
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2 コメント on "銀座カンカン通り"
座敷童子とか、木霊とか、リトル・ピープルとか、小さいおじさんとか…
もしかしたらそういうものだったんじゃなかろうか。
じゃあきっと快活さんは幸せになれますね。
いつも気配がするからって、おはらいとかしちゃだめですよ!
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