「クリスマスというものを馬鹿にしてはいけません。これは、子供たちが何歳でサンタクロースの存在を否定するに至るかを棒グラフにしてまとめたものです。確かに近頃の子供たちは幼くしてサンタクロースの存在を否定する傾向にありますが、だからこそ逆に、今我々の信念と努力が試される時なのです。自らの聖なる職務に自覚と責任を持ち、皆さんの役目を全うしてください」
そういって教師が教室を去ると、3–B組は一気に乱れました。女子生徒たちは男子生徒たちの見ている前でサンタクロース・コスチュームを器用に脱ぎだし、下着を見せる一暇も与えぬ間にハラジュクで買った他校の(あるいは実在などせぬ学校の)カワイイ制服に着替えています。
「カラオケ行こカラオケ」
「今日は私がM歌うんだからね。絶対先に歌っちゃだめだよ」
「それよりさーケーキ食べたくね?」
「え、カラオケ? 俺らも一緒に行くー」「えマジ? ちょマジ? おれ『いつかのメリークリスマス』歌いてえ」
「ったく、縁起でもねえなあ。テンション下がるからやめてくれよ」
「だいじょぶだって。あれはサンタさんじゃなくて旦那が嫁にプレゼント買ってそれで二人幸せよ、って歌なんだから。俺たちより旦那のがいい!って思ってもらえりゃ、そっちの方が好都合じゃね?」
「おいヘンタ、たまにはお前も来いよ」
「やめとけって。よりにもよって24日に、そいつがついて来るわけねえだろうよ」そういって男子生徒が見下ろした先に、背を小さく丸めて机にしがみついたままの男が居ました。皆にヘンタクロース、ヘンタクロースと蔑まれるこの男はしかし、サンタクロース育成学校たるこの学び舎で、その精神を最も尊敬されてしかるべき男のはずだったのです。というのも彼は、生徒だけではない、教師も含めて誰一人己が職務の聖性など信じるもののなくなったこの学校で、ただ一人世界中の子供たちのサンタクロースを求める清心を信じ続けているものなのです。
教室が静まって数刻の後だれもいなくなったのを脇目に確認してからようやく、男はゆっくりと動き出しました。誰も気づいてくれるものはありませんでしたが、昨晩自らアイロンをかけてきたサンタクロース・コスチュームを型通り身にまとった男は、教室の後ろの方にあるロッカーからプレゼントの詰まった白袋を取り出し、いざ教室を出ようとしたところでつまずいてこけてしまいました。しかし学校には、彼の不様を嘲笑するものすら残っては居ませんでした。
何度も落第してようやく手に入れた運転免許が制服の内ポケットに入っているのを確認すると、ヘンタは「レッド・ノーズ」と名付けられたトナカイの鹿房にやって来て、自分の足ほどの太さのある縄でトナカイと橇とをきつくしばりました。
「やあ、レッド・ノーズ。調子はどうだい? ただの練習じゃない、今日は本番なんだ。きっとうまくやってくれよ」
「・・・・・・」
「君は落ちこぼれなんかじゃないぞレッド・ノーズ。そのぴかぴかの鼻は暗い夜道でよく光るからな」
そのときトナカイが厳しい視線を投げて来た気がして、ヘンタは慌てて橇に飛び乗り、勢いよく鞭を降って叫びました。
「ハイドー!」
広い宙にひとりぼっちになるとヘンタはがぜん元気が出てきました。勢いよくトナカイに鞭をふるってはハイドーハイドーと高く声を上げます。しかし怠惰な友人たちに仕事を押し付けられているヘンタには、夢中に気持ちよくなっている暇などありません。どんどん白袋のプレゼントを配って回らなければならないのです。ヘンタは灯りを頼りに狙いの家を定めるとトナカイを急降下させ、よしいくぞ、と思ったところで急ブレーキをかけました。というのもその家は鉄筋コンクリートでぐるりと囲まれた丈夫な家で、ヘンタの入る隙などなかったのです。しかも窓から覗いてみたところ子供たちは既に親からプレゼントを手渡されていて、満面の笑みを浮かべているではありませんか。一家の幸福の邪魔をしてはいけない、そう思ったヘンタは、手早く次の家を探すことにしました。
二番目の家は一軒家でしたが頼みの煙突もなく、さてどこから入ったものだろうかとヘンタは家のぐるりを物色しだしました。最近ではサンタクロースを泥棒と間違えてしまうおっちょこちょいな警察も少なくありません。ようじんようじん、そうつぶやきながら家を回っていたヘンタの目に入って来たのは、お財布から一万円を抜き取って子供に差し出すお母さんの笑顔でした。それを受け取る子供もまた、顔には満面の笑みを浮かべていたのでした。
「こんなことじゃだめだこんなことじゃだめだこんな・・・・・・」
そうつぶやくうちに、トナカイを走らすヘンタの目からは知らず涙があふれ出ていました。町の人たちにまぎれて今ごろはカラオケ・ボックスで陽気に歌い踊っているであろう友人たちが言っていたように、やはり、もうサンタクロースを待っている子供など居ないのでしょうか。しょせんヘンタはただの変わり者で、彼の信念など独りよがりにすぎないのでしょうか。もう誰もサンタクロースを・・・・・・
「ヘンタ、早く指示をくれ。さっさと次の家に行こうじゃないか」
レッド・ノーズが声をかけてくれるなど滅多にないことなので、ヘンタは一瞬どこから声が出ているのかとびっくりしてしまいましたが、しゃべっているのはやはりレッド・ノーズです。
「別にお前のことが好きなわけじゃないが、お前のやっていることは間違っていないと思う」
レッド・ノーズはまっすぐ前を向いたままそういうと、いつでも出発できるぞと言わんばかりに、夜目に美しく赤々と輝くハナから熱い息を吹き出します。
「そうだ、ぼくはまちがってない」
ヘンタはもう一度自分の神聖な職務を心静かに確かめたように強いまなざしを取り戻して、レッド・ノーズの尻を叩きました。
三番目の家に近づくにつれ、屋根からにょっきりと空に向かって突き出している物体が、ヘンタの目に入りました。
「あれは!」
ヘンタは興奮を抑えきれません、そう、それは今はあまり目にすることも出来ない、昔ながらの煙突ではありませんか。ヘンタは煙突のぎりぎり真上までトナカイを走らせると、見事な垂直を描いて落ちるように煙突の中へ突っ込んでいきました。ところがその煙突の長いこと長いこと。真っ暗な一本道をどれだけ進んでも、いっこうに煙突を抜けられそうな気配がありません。暗い、冷たい、じめじめした煙突の中でヘンタは恐怖に駆られて何度も引き返したいと思いましたが、折り返せるだけの道幅の余裕もなければ、トナカイにも全くその気はないようで、今は乗り手の気持ちなど全く無視してずんずん下っていく勢いです。
ようやくトンネルを抜けるとそこは雪一面の野原で、少し離れたところにぽつぽつと建つ家には驚くことに、すべて煙突がひょっこりとついているではありませんか。まるでおとぎ話に出てきそうな幻想風景に見とれているうちにヘンタは橇を止めることもすっかり忘れて、そのまま雪の中に墜落してっ込んでしまいました。それからどれほど時が経ったでしょうか、ヘンタがようやく顔を上げるとびっくり、周りを大勢の人たちが取り囲んでいます。橇を失ったヘンタはすっかりいつもの臆病風に吹かれて、背を丸めて雪に顔を埋めてしまいました。
「イヨッホーイヨッホー」
男の声が高く上がると、それに続いて
「ソーレイヨッホーイヨッホー」「ソーレイヨッホーイヨッホー」「ソーレイヨッホーイヨッホー」
と人々が大合唱のように大きく声を揃えて歌い出しました。ヘンタはいよいよおびえて雪に穴を掘らんばかりの思いでしたが、よくよく聞いてみると人々の声はとても陽気で、どうやらヘンタを歓迎している。それどころか待ちに待っていたといわんばかりのようにも聞こえます。ヘンタにはわからない言葉でしゃべっていたものの、どうやらそうにちがいない、とヘンタには信じられたのでした。幼い頃から蔑まれ続けて来たヘンタなのに、大勢の人々が彼の到来を祝福しているのです。このままではいけないと思ってヘンタも勇気を出して顔を上げ、にっこり笑おうと努力してみたのですが、つり上がった唇の先はプルプル震えてしまうし、目元には変な力が入ってしまうしで、どうにも奇妙な笑顔が出来上がってしまいました。
そこへたくさんの村人の中から豊かなひげを蓄えた男が近づいてきて、突然ヘンタの前にひれ伏して顔をどすんと雪の中に突っ込み、ヘンタの前に両手を差し出します。何のことやら分からずにヘンタの引きつった顔はさらに引きつり、すっかりかたまってしまいましたが、慌てて気づいたかのように
「メリークリトリス!」
と声を限りに叫ぶと、雪に突っ込んだ時も必死につかんで離さなかった袋の中から、プレゼントを取り出そうとしました。ところが、袋の中はまるで空っぽで、ヘンタがグルグル手を引っ掻き回しても、何も出てきやしません。ヘンタの顔はいよいよおかしく引きつって、ついには笑い顔だか泣き顔だか分からないほどになってしまいました。村人たちの中数人首を傾げ出すものが居て、近くの人と何やらこそこそ話をはじめだすものも出てきました。そして次の瞬間には最初男がやったのと同じように、諸人こぞって顔をどすんと雪に突っ込み、ヘンタに向かって手を差し出してきました。
「クリ、クリ、クリクリ、ギャーーー!!」
と叫ぶとヘンタはとうとうその場に倒れ込み、目をクルクル回して気を失ってしまいました。
———
どうもヘンタが学校に出てこない、登校拒否? しかしあのヘンタが? 不器用でも熱心に人一倍の努力だけは惜しまなかったあのヘンタが? やっぱりあのとき無理してでもカラオケにつれてった方がよかったかな?
そんな噂が生徒たちのなかでもてはやされたのもつかの間のこと、いつも通りの自堕落な時間がサンタクロース育成学校にすぐに流れ出しました。ヘンタのことを思い出すものなど、もう誰一人ありません。
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