人は何の為に生まれてきたのか。
これは人間にとって永遠のテーマであり、統一された明快な答えは無い。
個々が人生を歩んでいく過程で見つけていくものだからだ。
感情の多様な色を知りながら答えを探していく。
その過程で人の優しさに触れ、その存在を肯定したくて、まっすぐでひたむきな感情を向ける姿は純粋で美しい。
けれど本来、人は孤独な生き物だ。
生まれてくるとき、死んでいくとき、いつ何時もその行動を自身のものとして感じられる人は本人しか居ない。
どんなに感情移入したとしても完全理解は存在しない。
それを知りながらも自分の想いを相手に理解して欲しいと願う。
認めて欲しくて精一杯伝えようとする。
誰でも無意識に行っていることだ。
私が人身事故などのニュースを見て「切ない」という感情を抱く理由はそこにある。
ニュースを耳にした私は、まず自分の大切な人たちのことが脳裏に浮かぶ。
そして、普段の楽しい会話、笑顔、温もりが生々しく思い起こされ、その人たちの計り知れない闇を少しでも取り除けているのか不安になる。
人の為に出来る事の幅の狭さのようなものを感じてしまう。
おそらくみんな分かっていることだ。
全ての人が自分を理解してくれる訳ではないし、好意を抱かれる訳でもない。
少数でも自分の居場所を創ってくれる人が居ればいい。
それすら居ないと感じた場合、人に向けられていたエネルギーがマイナスに作用する。
その報われない想いが存在することが切ないと感じるのだろう。
人にはそれぞれ個性がある。
自分にはないものを持っている人に魅かれ、あらゆる化学変化が起こる。
世界はその化学変化によって構築され、新しい時代が始まるきっかけにもなる。
けれどその個性が時には仇となり、外に追いやられる人が居るのも事実だ。
その悲しき矛盾の下で、人は多種多様な生き様を晒していく。
すべての人の傍に暖かく見守ってくれる存在が一人でも居ることを儚くも願う。
2010/04/25
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