相手に自分の気持ちが伝わるなんてことは、確かに、奇跡としか言いようが無いことで、それは疑いようがない。でも、それは、自分の気持ちを言葉で言い表すことが難しいからでも、相手が自分の言葉を100%理解することがめったにないからでもない。
言葉は、伝わらない。
それが本当のところだと思う。少なくとも、時枝誠記はそう答えそうだ。
一時間ほど早くロンドン行きの飛行機に乗る私はKさんを残して出発。「よい旅を」といって別れる。ここからはまた一人だ。さっき解けたはずの緊張が復活。十二時間のフライトの大半を寝ぼけた状態で立ったり座ったり(通路側の席だったのでトイレに行く人のため頻繁に立たなければならない)しながら、ヒースロー空港についたのは朝六時。9月2日の日記にはこう書いてある。
9/2 London着。
宿の住所に行くが誰もいない。パキスタン系移民らしき人ばかり歩いていて不安になる。元気なおじさん現れ、別の建物に連れていく手配をしてくれる。女性が車で迎えにくる(このとき傘をトランクに忘れる)。
雨がひどい。レインウェアをもってきてよかった。
駅前に出てハンバーガー。
支出:Oyster Card
3(dep.) +15£
Coffee (at the airport)1.7£
ハンバーガー 3.9£
宿代 80
計 103.6£
ヒースロー空港はチャンギ空港と違って薄暗く、なんだか汚い。照明の形状などは近代的で、写真うつりは非常にいいのだが、実際にその場にいるとなんだか気分が暗くなってくるような雰囲気を感じた。空港につくと長い列に並ばされ、入国審査を通る。パスポートによって並ぶところが違う(EU内の人とそれ以外)ようで、列を間違えていないかひどく不安になる。日本人っぽい人に声をかけたら「アァ?」と言われる。"Are you Japanese?" と訊ねると "No." といわれ、恥をかく。入国審査の係員と入国する人とのやりとりを見ていると、目の前で2、3人のアジア人が入国を拒否されている。並ぶ列を間違えて別のところに行かされる人もいる。不安が募る。私は周りを見渡して、EU以外の人たちが並んでいることを確認しようとするのだが、他国のパスポートのデザインなど知らないからさっぱりわからない。わからないままに順番が回ってきて、係員の前へ。
「何しにきたの?」
「観光です」
「イギリスにはどれくらいいる?」
「一週間」
「イギリス出た後はどうすんの?」
「オランダとかフランスとかいろいろ行きます」
などなど、当たり障りのない質問に対して実際には何度も聞き返したり的外れな返答をしながらも、私はなんとかイギリス入国を果たした。
まずはタバコだ。私は荷物をころころ引きずって外に出て、喫煙所を発見した。灰皿の上に転がっているタバコの空き箱には "Smoking Kills" とこれ以上ないほどに直接的な注意書きが印刷されている。空港前の道路にはひっきりなしに車が通っている。あまり違和感がないのは、車が日本と同じように左側を走っているからだ。
一服していると日本人らしい人がタバコを吸いにきた。その人は電話をかけて、今着いたというようなことを話している。日本語だった。私はさりげなく地球の歩き方『ヨーロッパ』を出して、ちらちらと相手の目に入るようにする。電話が終わると「日本の方ですよね」と声をかける。どこから来たのかと訊ねるとぼく田舎もんなんですよお、といいながら「岩手の北上」だと答える。おお。(ほぼ)同郷じゃないか。いやあ、世界って狭いですなあ、とかいいながら別れる。これから二年間ワーキングホリデーで、ホームステイ先に向かうのだとか。
意外にそそくさとその日本人が立ち去ってしまって手持ち無沙汰なので、もう一本タバコを吸ってから、コーヒーを買いに行く。イギリスで初の経済活動に参加すべく、カフェの列に並ぶ。メニューもろくに見ずブラックコーヒーを頼む。別に言葉の壁があるが故の妥協じゃなく、普段から私はブラックコーヒーしか飲まない。だから注文が楽だぜ、と思って余裕しゃくしゃくで注文を終えたと思ったら、なにか店員が聞いてくるのである。またもや何度も聞き返す私。次第にいらだつ店員。どうやらなにかトッピングはいらないのかと聞いているようである。いらねえよ、だからブラックコーヒーっつってんだろうが。と思いつつ、実際にはしどろもどろでようやく No.と答える。コーヒーひとつ買うのも一苦労である。十ポンド札を渡して釣り銭をもらう。
コーヒーを飲みながら釣り銭を勘定する。べつにごまかされたと疑っているわけではない(まあ場所によっては多少警戒したほうがいいだろうけど)が、それぞれの硬貨がいくらなのか、お勉強がてらやってみたのである。日本円だったら財布のふたを開けた途端に瞬時にわかるわけだが、初めて見るイギリスのコインはそれぞれがいくらなのか、表面にある数字をよく見ないとわからない。それからガイドブックを開き、どうやって空港から市街地まで出るか考える。地下鉄がいちばん安い。深夜・早朝の地下鉄は治安が悪いと聞いていたが、もうそれを気にするような時間でもないので、地下鉄に決定。
イギリスの地下鉄にはオイスターカードというものがあって、日本のスイカやパスモと同じようなものなのだが、日本と違うのは、これを使うと現金で切符を買うよりも圧倒的に安い料金で乗れることだ。イギリスの交通費はめちゃくちゃに高いから、これを手に入れるべく案内所のようなところにいく。稚拙な英語で「わたし、オイスターカード、欲しい」というと、突如として店員の対応が私を見下したようになる。何かまずい言い方をしただろうか、と思いつつ15ポンドチャージしておつりをもらう。なぜかおつりの渡し方もぞんざいである。店員はにやにやしながら、イギリスの厚ぼったい硬貨を手からぼとぼととテーブルに落とす。ちくしょう。馬鹿にしやがって。
とりあえず Green Park というところで降りる。まだ宿へ行くのには時間があるから、公園でだらだらとくつろごうという魂胆である。しかし地下鉄を降りて地上へ出ると、雨が降っている。しかも寒い。セーターとレインウェアの上着を出して着る。折り畳み傘を持ってきてよかった。地図を見るが、ここがどこなのか見当もつかない。日本人カップルがいたので「すいません、ここどこですか」と愚かな質問をするが、「こっちが聞きたいくらいです」という答え。なんとなく心和むやりとり。
適当に歩き出してみる。ここからはピカデリー・サーカスという街の中心地が近いはずなので、グリーンパークの前にその辺まで行ってみることに。きょろきょろとあたりを見回しながら荷物を引きずって歩くと、石畳の道路がスーツケース持つ手にがたがたと振動を伝える。意外と歩きにくい。びしっとしたスーツを着た身なりのいい人たちがたくさん歩いている。笑いながらこちらを見て通り過ぎて行く人もいて、どうやら私は場違いなオーラを放っているようだ。キスリングを背負って銀座を歩く裸の大将のような感じだろうか。地図を見ながら歩くが、そのうち雨の中わざわざ「街の中心地」なんて漠然としたものを見に行くのも面倒になってきたので引き返してグリーンパークへ。グリーンパークはすぐ近くにあった。入ってみるが、ベンチは雨でびしょびしょなので座れない。晴れた日は気持ちがいいだろうな、と思っただけで、居場所がないので宿に向かう。地下鉄のジュビリー・ラインというのに乗ってウィルズデン・グリーンで下車すればいいはずだ。
目的の駅は郊外の住宅街という感じ。あらかじめ用意しておいた地図にしたがって歩く。電話をすれば迎えにきてくれるとは書いてあったが、そんなに遠くないから歩いてしまった方がよい。念のため途中でランニング中の女性に「この住所はこの辺ですよね」と訊ねる。「たぶんそう、このずっと先じゃないですか」というが、ぼろぼろの、ほとんどすべて同じ形のれんが造りの建物が並んでいるこの通りには、宿がありそうな雰囲気は全くない。おまけに額の中央に赤い塗色を施したイスラム系の人たちが不幸そうな顔つきをして歩いていたりして、少なくとも高級住宅街とはほど遠い雰囲気だ。やたらに安い宿にしてしまったのが悪かったのか。このまま宿が見つからずに夜を迎えたら、路上で身ぐるみ剥がされ野垂れ死ぬのではないか……などと考えながら、けっこうチェックイン時間の11時が迫っていることに気づいて焦る。
なおも歩いていると、さっきのランニング女性が戻ってきた。たぶん彼女のランニング・コース上の「いつもの折り返し地点」を過ぎてきたのかな、と推測していると、手を振って話しかけてくる。「その住所見つけたわ」というのである。ずっとまっすぐ行って右側にありますよ。あなたの前を走って行くから、そのときに指差して合図します。
おお。ありがたい。わざわざ戻ってきてくれたのだ。
次第に遠ざかる彼女を見ながら、まっすぐ歩く。交差点を過ぎたときに、振り返って指差してくれた。果たしてその建物はあった。駅からここまで来る間ずっと道の両側にあった、ほとんど見分けのつかないようなれんが造りの古い建物となんら変わらない。窓にはひびが入り、玄関のドアには隙間があいている。その建物が宿であることを示すものはなにもなかった。
私はしばらくその建物の前に立って、住所をもう一度確認したり、誰か人が来ないものかと思いながらまごまごしていた。しかし誰もいない、誰も来ない。私は思い切ってドアをノックしてみた。えくすきゅーず・みー。返答がない。もう一度。えくすきゅーず・みー! 返答はない。
建物の前の駐車スペースに車がないところを見ると、どこかへ出かけているのかもしれない。私は荷物を置いて、しばらくその前をうろうろした。ようやく通りかかった人に「ここはホステルですよね?」と訊ねてみるが、知らないという。どうなってるんだ…。
銀座におばあさんがたってる。
プラモデルのよう。つきだした上半身を、その重みを杖にかけて、見つめれば、
先にあるビル群のさらに先を透視できるとでも思ってるの?ジーッとみてる。
どっからどう見ても徘徊老人、徘徊はもうやめてるか、静止老人。
三越、松屋、シャネル、ブルガリ、カルティエ、銀座の中央通りから少しなか
に入った昔ながらの店が、老舗だろう、ン十年間ずっと動かずに客を呑んでは
吐いてきた強靱な一角。
お昼に満足した倦怠感に、成熟の静けさある街の雰囲気がとけ込んできて、
ギョッとしたのも束の間、ケンタッキー人形みたいなおばあさん人形があった
ら随分ステキぢゃないか。ゆるやかに流れるこのあたりの、時がさらにとまっ
たようで。でも人形ぢゃあ「止まった感」はないナ生身であるからこその、
てそんなカッテな妄想はいいんだ。おばあさん家帰ろうよ。子供さん、心配
してるよ?してないの?
角を曲がるまえにふり返っても、おばあさんはそのままだった。指ひとつ
動いてなかった。
気になって足がむいた翌日は、アスファルトで舗装された通りと変わらない
暖簾とちらほら通りすぎるリーマンに太陽がそそいでた。
暑い日はおばあさんも家で休んでんのかな?おばあさんは二度と見なかった。
いつも気配はするんだが。
久しぶりにリチャード・ブローティガンの本を読み返す機会があった。ブローティガンをヒッピー世代のスターに祭り上げた代表作『アメリカの鱒釣り』である。冒頭から表紙の写真に言及する異様な章で始まるこの作品は、全体として緩やかなつながりをもつ一~数ページ程度の短い章の連なりで構成されている。どの程度のつながりかというと、短編集と呼べるほどそれぞれの章が独立しているわけではなく、かといって最初から最後まできっちりつながった長編小説というわけでもないぐらいの、位置づけが難しい本だ。
だからこの本について、登場人物やプロットによって作品全体の印象を伝えようとするのはむずかしい。とりあえず全体を通してわりに「つながっている」要素をあげると、これはタイトルから想像するのが容易だが、語り手の「わたし」はよく川に鱒釣りに出かける。しかしその語りには幻想が入り交じり、とても開高健やヘミングウェイの「釣り文学」と一緒にはできない。そもそも、釣りそのものが焦点となっているわけではない。たとえば「赤い唇」という章では、語り手が川下に行くためにヒッチハイクしているのだが一向に車が捕まらず、暇なのでハエを捕まえまくる。「ポートワインによる鱒の死」では、語り手は一応釣りをしているのだが、釣りをしながら友だちと雑談している。釣った鱒にその友だちがワインを飲ませて殺してしまうのだが、なぜか「鱒がワインで死んだ例など聞いたこともない」という驚きに語りの重点がおかれている。苦しまぎれにもう一つ「つながっている」要素をあげると、「アメリカの鱒釣り」という《なにか》が出てくる。これは出てくる場面によって、人物であったり、落書きの文句であったり、この本自体を指し示すものであったりするので、とりあえず《なにか》と呼ぶしかないのである。
文の種類からいっても、その章だけで短編といってもいいようなまとまりをもつものもあれば、小説と呼んでいいのかわからないような一ページ程度の短文もあり、「ウォルナット・ケチャップのもう一つの作り方」というタイトルのとおりほとんど料理の作り方が書かれているだけの章、さらには「『アメリカの鱒釣りをネルソン・オルグレンへ船で送ること』への脚注章」なんていう章もある。「脚注」なのに「章」? この本はほとんど読者の脳内に形成されている通常の論理階梯をたたき壊すためだけに書かれたのではないかと思われるほど、徹底して「わかる」という感じを与えない。
しかし、この作品がただ前衛的なだけの本かというと、ちょっと違う。文学史的に作家の重要性を説明するときに「いかに新しいか(新しかったか)」を説明するのは常套手段であるが、考えてみれば、近代以降、立派な「新しい」理論を立ち上げて、その理論に突っ走った結果、五十年後の大学生に「なんか重要な作品らしいけど、よくわからない。眠い。『ジャンプ』でも読むか。レポートはネットからコピペすればいいや」といわれるようなレベルまで異質さを極める作品を書いた方々はたくさんいる。ダダやシュルレアリスム、ビートニクといった通常の意味作用を徹底的に破壊する前衛的な芸術運動は、単純にいってしまえば既存のものに「反」をつけた運動だといえるだろう。それに対してブローティガンの作品は、「新しい」文学を創造しなければならぬ、というよくも悪くも「熱い」芸術的野心とは無縁である。むしろ、そのような野心に駆られる人々に冷や水を浴びせるような一歩引いた立場から、作品を書いているような印象を与える。柴田元幸が『アメリカの鱒釣り』は「反」小説というよりは「脱」小説といったほうがいい作品だというのを聞いたことがある。私はブローティガンの作品は脱・表象的なものだと書いたことがあるのでそれに意を強くしたのだが、それはさておき、「脱」小説的であるというのはどういうことだろう。上記のような印象が生まれるのは、おそらくテクストに現れるメタフィクション的な要素に由来する。
今回訳出するのは、「木を叩く(その一)」である。
木を叩く(その一)
子どものころ、はじめてアメリカの鱒釣りについて聞いたのはいつ、誰からだったろう。たぶん継父の一人からだ。
一九四二年の夏。
あのろくでもない酔っぱらいが鱒釣りについて話したのだ。しゃべれるときには、彼はまるで鱒が知性をもった貴金属であるかのような言い方をした。
「銀のような」というのは、鱒釣りについて聞いたときの感じを表すのに適切な形容詞ではない。
なんと言えばいいのだろう。
おそらく鱒の鉄だ。鱒から作られる鉄。鋳造と熱処理のはたらきをする、雪でいっぱいの澄んだ川。
ピッツバーグを想像してごらんなさい。
建物や列車、トンネルを作るのに使われる、鱒からとれる鉄。
鱒王アンドルー・カーネギー!
《アメリカの鱒釣り》からの返事:
明け方に釣りをしている三角帽をかぶった人たちを、私は格別の楽しみをもって思い出す。
この部分を訳出したのは、この短いパッセージにブローティガンの作品の多くに通底する「この作品は言葉でできている」というメタフィクション的な自覚が端的にあらわれているからである。語り手は幼い頃の体験を語るのに、適切な言葉を探している。人は「内容」を正確に伝えるべく、言葉を選ぶ。これ自体は当然のことだ。言葉の選択を間違えれば、「内容」は低速度の回線を通して劣化した音声のように、その輪郭を失ってしまう。ここに最終的に選択された言葉だけではなく、「言葉の選択」の過程自体を書き込むことは、作品が言葉によって作られた虚構であることを暴露する(ただし一般的に作家が言葉を巧妙に選択し、それが言葉で出来ていることを忘れさせてしまうようなリアリティを持った作品世界を構築するということと、訳出部分のように、あくまで作品内の語り手=「わたし」の言葉の選択過程が描かれていること──いうまでもなくこれも一種の巧妙な「選択」であるわけだが──とを混同してはならない)。ブローティガンのテクストが脱・小説的なのは、私たちに小説というジャンルに見られるルールを忘れさせるのではなく、このような仕掛けによってそのルールを思い出させるからである。
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